見出し画像

#69 またどこかで


こんにちは もるです。

だんだんと「年末」の二文字が見えてくる、そんな季節になってきましたね。

風はひんやりとして、日が暮れるのもはやくなり、夏のあの暑さはどこに飛んでいってしまったんだろうと不思議な気持ちになります🍁


そんな、季節が夏から秋へと移ろう中。先日、私の祖父が他界しました。

葬儀は少し前に無事終えて、今はまだ気持ちが揺らぐ日もあるけれど、やっと皆一息つくことができたという感じでしょうかね。


事の発端は3ヶ月前。夏のはじまり。

大きな病気をこれまで1つもしてこなかった祖父が緊急入院。
当初は2週間の入院・手術で家に帰れるはずだった。
誰もが「ケロッと元通りになるだろう」と思っていた。

それが、手術当日に急変。

敗血症を併発し、重篤なショック状態に陥ってしまった。
晴天の霹靂とはまさにこのことか、と頭が真っ白になった。

遠方に住んでいるためすぐに駆けつけることができず、母からは「だめかもしれない」と一言言われたときの背筋が凍りつく感触は今も忘れられない。



数日後、私は急遽両親と共に祖父を訪ねた。

そこには、たくさんの管に繋がれ、むくみが酷く、腕や手には点滴を何度も刺し直したからなのか内出血が何ヶ所もあって、変わり果てた姿の祖父がいた。
意識はなく会話もできなかったけど声をかける少し動いてくれた。
想像以上にむごい現実にただ悲しくて悔しくて、涙が溢れて止まなかった。


実は4月に家に遊びに来てくれた祖父。

とある有名な神社に一緒に行ったときのあの元気な姿を知っていたから、信じられなかった。
でも目の前にいるのは紛れもなく本人。


なんでこんなことになったの?
なんでお医者さんはすぐ気づいてくれなかったの?
すぐ手術できてたら今頃家に帰れてたのでは?


でももちろん病院が全部悪いとかそういうことは思ってない。
すごく手厚く丁寧にケアしてくれていたのを知っているし、病院関係なくいろんな不運が重なってしまった結果だったから。

だから余計に誰を責めることもできず、行き場のない気持ちをどうしたらいいのか分からず溢れ、病院のお手洗いでこっそり1人大泣きした。

あんなに泣いたのはいつぶりだっただろうか。

私は大学で心理学を学んでいますが、所属する研究室の先生が「死生観」や「人生の価値」「緩和医療」なんかを扱う方で、元々そういった医療現場の重たい内容についてはいろいろ触れてきたはずだったけど、いざ当事者となると一気に見え方が変わった。

重い治療を受けてなんとか生かされているのは幸せなんだろうか、自分らしい人生ってなんだろう、生きてほしいって思うのはエゴだろうか、と思ってしまった。

命の儚さ、人間の脆さを痛いくらい思い知った夏でした。


それから2ヶ月半。

一時はお医者さんもびっくりするくらい回復の兆しを見せてくれたが、やはり全身のダメージは大きく、そのまま帰らぬ人となった。

すぐ家に返ってくるつもりで入院した祖父がきっといちばん悔やんでいることだと思う。まさかこんなことになってしまうなんて。
祖父はとてもアクティブな人で、長年頑張ってきた尺八や弓道をもっとやりたかっただろうし、行きたいところもやりたいこともたくさんあっただろう。

お見舞い以来の祖父の家に足を運んで、家の中を見渡していると、ふと7月のままになったカレンダーに目が行った。
ペラペラめくっていると祖父の字で12月まで予定がぱらぱら書かれていて。

ああ、この家はあの日から時がとまったままなんだ。
たしかにここにいた。ここで当たり前の暮らしをしてた。
だけどもう姿はない。

いるけどいないという不思議な感じが、そこには漂っていました。


祖母のお葬式のときはまだ小さかったから行かせてもらえず、今回人生で初めて納棺から火葬まで立ち会いました。


久しぶりに再開した祖父はもう動かなくて、黄疸のせいで肌は黄色くなっていた。でも、どこか幸せそうな顔をしていてほっとした。

目の前にいるのに実感がなかったからか、納棺もお通夜も涙が出なかったけど、最期出棺から火葬の時は体の水分がなくなるんじゃないかってくらい泣いた。寂しくて悲しくて苦しかった。今でも思い出すと勝手に涙が出てくる。

でも、亡くなってからその人の生き様がよく分かる的なことよく言うじゃないですか。
本当にその言葉の通りで、誠実に生きてきたことやいろんな人とのつながりがあったこと、祖父の功績を知って、悲しいながらも祖父の孫でいられて良かったなぁと誇らしい気持ちにもなりました。

葬儀が終わって、従兄弟家族と祖父と一緒にお家へ帰りました。
祭壇を従兄と組み、穏やかな表情の祖父が真ん中にいる。

やっと帰ってこられてほっとしているんじゃないかなと思わせてくれる、そんな顔をしてた。


少し前のことだけど、まだほんの最近のことのように思えてならなくて。
夏休み、祖父のお見舞い帰りに車の中で流れていた折坂悠太の「鶫」を聞くと、あのときのことを思い出して今でも涙してしまう。

みんな気丈に振る舞っているけどまだまだ悲しみの中にいるし、どうやら葬儀後に私含め親戚みんな体調を崩していたよう。(私はまだ若干カゼ気味)


すぐには立ち直れないけど、夏の時点で皆が覚悟はしていたから思っていたよりも元気。祖父が、そういう心の整理をつける時間を私達に与えてくれたおかげです。


私はまだまだこっちの世界で頑張っていたいので、しばらく祖父のいる世界には行かないけど、いつかまた会えることを願いつつ、これからもひっそり見守ってくれていたら嬉しいな。













いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集