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『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』感想。(2021年08月01日執筆)

※この記事は、私が以前利用していたさくらインターネットのサービス「さくらのブログ」に掲載していたものですが、この度サービス終了(記事は残るけど新しい記事の追加はできない)することになったため、こちらに転載したものです。
特に注意がない限り、記事の執筆当時の内容になります。
(今読んでみて分かりづらい部分の表現の修正はありますが、内容自体は手を入れていません)

※途中からネタバレがありますので、警告が出たら未見の方はご注意ください。

⇧当時描いたイラスト

この映画のテーマは「青春」である。(公式でそう言ってる)

そして、この映画を一言で表現するなら、

「青春とは、ステキで価値のある無駄である」

って感じじゃないかなぁ。
 そしてそのステキな無駄は、前に進もうと必死であがく時に大量に発生する、と私はこの映画で感じた。

 私はこの映画を見たときに「クレしん版スタンドバイミー」と表現した。
 お話や構造が似てるとかそういう話ではなく、予見される将来像が、という点で。

 前に私が『妖怪ウォッチ(ゲームの方)』にドはまりしてる時に、主人公ケータ(ちょっといい暮らしの庶民)、その友達のカンチ(金持ち)とクマ(下町のわりと貧乏そうな暮らし)の三人が、中学以降別々の学校に進んで疎遠になる将来を想像してちょっとブルーになった、そんなことを思い出した。(もちろんゲーム内にはそういう描写はない)
 あのゲームも、その辺りので『スタンド・バイ・ミー』を連想させられた。
 あのゲームはなまじ町の描写を描きこんでる(場所によって生活レベルが違うことまで表現されている)ので、そういうことさえ感じさせるパワーがあった。

 まあ、それはさておき、

※以下、ネタバレを含みます。















 この映画の主人公…は言い過ぎだけど、間違いなく中心人物は風間くんと言って間違いない。
 この物語は彼のいだく不安と夢から始まるから。
(ちなみに、風間くんのキャラクターは原作・アニメ初期から比べてかなり変わってきているが、キャラが定着した以降のものとして扱います)

 風間くん家(ち)は教育熱心だけど、そういう家にありがちな「ああいう子とは付き合うな」的な排他的なエリート教育はしていないからか、風間くんはときおりほかの子への優越感は垣間見えるけど基本的にやさしいいい子だ。
 そして、普通の幼稚園に通ってるあたり、代々エリートな名家というわけではなく、そこそこいい生活レベルながら、子供にはさらにいい人生をって感じなんだろう。
(『クレしん』では、超金持ちのアイちゃんがふたば幼稚園に通ってること自体が「ネタ」だからw)
(ついでに言うと、スネ夫がのび太たちと同じ学校に通ってるのも、ギャグマンガ設定だよなぁw)

 そして、家族の期待を受けてエリートコースを目指す風間くんがド庶民のしんのすけが大好きなのは、本編の風間くんの手紙でもあるように、しんのすけが「心がエリート」だから。
 言い換えればおそらく、風間くんから見て自分にはない「心の強さや熱さの様なもの」を感じてリスペクトしてるのだろう。
 TVアニメ本編では、加えて「素直になれない自分」に対して「何事にも率直」なしんのすけへのあこがれもあるように見える。
 もちろん、同じ手紙につづられるように、ほかのカスカベ防衛隊のメンバーにもそれぞれ大好きなんだろう。

 しかし風間くんが彼らと決定的に違うのが、親の影響とはいえかなりはっきりとした将来像を持っていること。
 それゆえ、カスカベ防衛隊としての楽しい日々が、もうそんなに長くないことを知っている。
 自分が私立の学校を受験して進学すれば、離ればなれになってしまうことも。

 そこに舞い込んだのが、「天カス学園(エリート校らしい)体験入学」。 しかも、そこで優秀な成績を残せば、入学を許可されるという特典付き。
 よくあるアニメのように、エリート側が庶民側に「降りてくる」のとは逆に、みんなを引っ張り上げようと頑張るところが風間くんのやさしさというか、育ちの良さというか…。

 しかし、そこがツンデレの風間くんだけに、素直に「みんなで一緒にエリート校に進もう!」とは言えなくて、自分の期待通りに動いてくれないしんのすけや仲間に苛立ち、しまいにキレてしまう。
 今までもしんのすけと風間くんがケンカ、そして絶交というエピソードは何回かあったはずだけど(映画の『B級グルメサバイバル!!』など)、私が覚えてる中では今回の絶交が一番重く、そして生々しいと感じたのは、上記のように「人生」のかかわった話だから。

そんななかで、オツムン(天カス学園セントラルAIロボット・学園の生徒の評価システム「エリートポイント」を管理している)の誘惑に負けて、裏道でエリートになろうとして失敗しておバカになってしまった風間くんを防衛隊のメンバーが救おうと奔走する展開に熱くなるし、結果スーパーエリート(笑)になってしまった風間くんが、この手のエリート主義のラスボスにありがちな、

「エリート以外は排除」


ではなく、

「全員エリートになってもらう」


って言い出すのが、恐ろしいと思うと同時に

「あ、やっぱり根っこは風間くんだなぁ」


とも思わされる絶妙さ(笑)

 ところでいきなり話は変わるけど、私はこの映画を見た直後の感想ツイートで「みんなかわいい」と書いた。
 可愛い…というより、「愛おしい」の方が正確かもしれない。

 繰り返しになるけど、この映画のジャンルは「学園ミステリー」だが、テーマは「青春」だそうで。
 観た方はお分かりでしょうが、クライマックスシーンでそれぞれのキャラのそれぞれの「青春」の定義が声高に主張される。そんでもってみんな言ってることがバラバラ
(なんか妙に頭に残ってるのは、みさえの「あったわねぇ…」とひろしの「今だって」だなぁw)
 バラバラだけど、この映画の内容に沿って一言でまとめるとしたら、やっぱり繰り返しになるけど

「自分にとって大事なことに向かって、必死にあがく」

ってことじゃないかなぁと。

 「あがく」という言葉には、「努力する」という意味合いに比べてスマートさに欠ける、無駄が多いイメージがあるけど、それは本当に無駄なのか?ってのもこの映画の主題の一つ。
 みんな必死であがいていて、それぞれ欠点は描くけど否定はしてない、一種の「人間賛歌」的な映画だと思う。だからみんなかわいい。愛おしい。

・風間くんは上記のように。大事な友達との時間を長くするために、必死であがいる。

しんちゃんたちは「自分たちが大好きな」風間くんを取り戻すために。

・加えてぼーちゃんは目覚めた愛に向かって、マサオくんは惚れた男の理想に誓って。
(この二人の覚醒っぷりはこの映画の見どころの一つです)
ねねちゃんは…、なんか耳年間的な訳知り顔で、時にみんなを導いてるのがなんか面白かったなぁ。今作でもかなり特殊な立ち位置。

番長ろろちゃんは、愛するものの居場所を守るために。
 それは変わってしまった学園を憂うスミコ先生も同じだといえるかも。

今回立場上「悪役」になってるキャラですら、

サスガくんは自分の愛する者のために、やり方を盛大に間違えてなおかつ相手の希望すら聞かずに邁進していった結果だし。

学園長は…、彼は唯一かわいいとは思えないしやってることはまあ「悪」とも言えるけど、彼なりに理想の学園を夢描いてきたとも言えるわけで。

アゲハちゃんだけが、あがいたりせずにマイペースに見えるかな。でもフェンシングなどで結果を出してる以上、人に努力をや苦労を見せないタイプなのかも。

・そしてもう一人の主役、

阿月チシオちゃんは、自分の居場所・存在価値を求めて。


 彼女はいわゆるマラソン特待生的な立場ながら、走ってる時の必死な顔(作中では「変顔」と呼称される)への誹謗中傷がトラウマになって走れなくなってしまう。
 これは、ギャグアニメの中でのコンプレックス描写として面白いから…とも言えるだろうけど果たしてそれだけだろうか。
 これって実は、観る人にとって身近な「挫折体験」として、かなりリアルなんじゃないかなぁ。

・自分が得意なこと、自信があることを人に笑われて、なんとなくやり辛くなってやめちゃう。

・授業中の英語の教科書の朗読で、発音がんばった故に笑い物にされる。

・こっそり描(書)いてて仲間内に見せてた漫画やポエムを、クラスの悪ガキに朗読されて恥をかかされた。

・ちょっと背伸びして頑張ったファッションを嘲笑される。

 そんな経験、ない人の方が少ないんじゃないかな。
 とくに多感な中学生女子が、変顔を笑われた上に「卑怯」とまで言われて。(←劇中で実際に合った罵声)
 マラソンの才能で学校にいられた(と思ってる)チシオちゃんが、もうここには居場所はないし、この学校に送りだしてくれた両親にも申し訳ないと悩み、ついには退学届けを手にする。
 (今回やけにみさえさんがしんちゃんを心配している描写が多いと思ったら…)

 そんなチシオちゃんが、もう一度走る(あがく)ことを決意したのは、自分の走りが「大事な人を救えるかもしれない」から。
 詳しくは後述するが、話の成り行き上マラソン勝負をすることになる。
 そこで彼女が「走れない」ことで、ある程度この後の展開は予想はできちゃうんですが、それでも彼女が走ると決めて必死であがき始めたときはもううっすらと涙が。

 たしかにひっどい顔。でもこの描写には「ここまで描いても言いたいことが伝わる」という制作側の意気込み・視聴者への信頼すら感じる
 そんな彼女に、オツムン側は「その顔」の立体映像を複数表示して見せつけるというえげつない妨害工作を始めるが、もうすでにそんなことで立ち止まらないと決意したチシオちゃんには全く通用せず、それどころか

「がんばってる私、大好き!」

と、それらをまとめて抱きしめる。ここでおじさん号泣。がんばれチシオちゃん。そしてよかったねチシオちゃん。
 もちろん、ここでの描写は自分の変顔を映しだす映像の照射機を物理的に抱きしめるシーンなんだけど、「精神的にもすべての自分を受け入れた」隠喩なのは間違いない。

 そう、そんな彼らのステキにあがく姿を見せつけるハレの舞台が、終盤のマラソンシーン。
 スーパーエリートになってしまった風間くんの自我を取り返し、彼の野望である「全学生をエリートに改造する」計画を阻止するのが最終目標

 マラソンという、シンプルに必死さの塊のような競技を選んだのももちろん意図的だろう。監督もインタビューで「最後はマラソンと決めていた」と。
 みんなが走り、様々な妨害の中、自分が倒れようとも同じ理想を持つ仲間に託す。
 こんなにわかりやすく効果的に、人があがきつつ前進するシーンを描く舞台装置はそうそうないだろう。

 すでに多くの方が指摘してるように、このシーンは『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』のセルフオマージュだろう。
 私も見てて「あ、これは」と。わざとそれっぽく描かれたと思われるシーンもあったと思う。
 これに限らず、過去作のセルフオマージュがあちこちにある(らしい)(←私が気づかなかったのもあると思うので断言はしない。)
 あの時はしんちゃんは人知れず孤独に走ってたが、今回はみんなと走る。みんなが見てる。
 個人的には、『オトナ帝国』リスペクトというより、「『オトナ帝国』からの脱却」てな風に感じた。

 好きな方には申し訳ないが、私は『オトナ帝国』のあの「感動的な」爆走シーンからのラストが正直好きじゃない。
 しんちゃんの知能指数が上がりすぎてて、「やらされてる」感がどうしても気になるから、少なくとも私は白けてしまった。
 でも今回の爆走はやはり必死だけど、消して悲壮感はない。幼稚園児にとっても目的も背景も明確だし、なにより仲間がいる。

そして最高なことに、絵面が最高に「おバカ」だ。

おバカなシーンなのに、気づいたらずっと涙ぐんでいた。チシオちゃんが変顔なのに。おにぎりが転がってるのに。

 そうだよなぁ。青春ってのは本人は必死だけど、はたから見ればみっともないし、空回りばかりで無駄も多い。
 でも、最高に輝いてるんだよ。言わすなよ恥ずかしい。

 そして、その無駄で滑稽なあがきこそが、合理的であるべきAIの最大の「ミステリー」だという当然の帰結。
 (まあ、そういう部分でも「ゆらぎ」という形で研究はされてるんだろうけど、人間を完全に理解するのはまだまだ遠い未来…と信じたい)

 そういう「青春=無駄」と対峙する「合理的」な学園の評価基準、「エリートポイント」制。
 エリートらしいふるまいをするとポイントが上がり、逆だと下がる。
 (余談だけど、このポイントの上げ下げを数字じゃなくて音と光で表現したのは白眉だと思う)
 ポイントが高いといい待遇が与えられ、食堂でもレストランクラスの食事が与えられ、低いと購買で焼きそばパンを争う。
 (この辺『翔んで埼玉』「都会指数」に似てるかもw)

 本作のタイトル『天カス学園』というのもじつにおバカっぽいテイストでクレしんらしいんだけど、その実

・エリート中のエリート=「天組」

と、

・ポイントが下の下の「カス組」

の格差を描くという、結構えげつないネタなのよね。

 このポイント制自体が、その導入以前に比べて学園のムードが悪くなった、居心地が悪くなったというのはまあ当然だし、教師(スミコ先生)や生徒(番長やろろ)など不満を持つ者も。
 だいたい、このポイント制の「基準」が「エリート」「ノットエリート」かというあいまいなものだし、その評価基準からこぼれる要素(ここでは無駄ととられる)をフォローするシステムもない。

 そして本編のセリフでもあるように

「エリートへの近道はないが裏道はある」。


 結局こういうのはルールを設定する側でどうにでもなってしまうというのがねぇ…。
 (これも余談だけど、アゲハちゃんの「化粧でマイナスポイントがあっても、ほかでポイント稼いでるから余裕」というのは、今のコロナ過において、「時短営業のルールに背いて罰金を食らってでも、営業した方がメリットがある場合がある」というルール上の不備を突いてるような気がする。もちろん悪いのはずさんなルールの方。)

 この辺がちょっとした社会風刺にもなってるけど、それはまあ副次的な感じかな。でもこれまた現代のリアルを感じさせるいいスパイスになっている。
 わかりやすいところだと食べログの評価とか、アマゾンのそれとかだけど、一番ヤバいのは某国ですでに実施されてるという「信用スコア」かな。(興味ある方はググってみてほしい)
 「評価経済社会」という形で経済用語にもなってるかな。発想としてはディストピアSFとかに原点が見られそうだけど。

 いや、そんなかしこそうなことはほんとスパイス程度で、やっぱり本作は堂々とした人間賛歌的な

「”青春”学園ミステリー」として傑作である、


と断言していいと思う。

 じつに爽やかで、それでいて嘘がない。

 個人的なクレしん映画の上位順位が書き換わりそうな予感。(まだ決めかねてる)

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