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映画『マイマイ新子と千年の魔法』感想(2009年11月21日記述)
※この記事は、過去に私のmixiで書いたレビューを転載したものです。記述内容や感想は当時のものになります。ご了承ください。
※ネタバレ有りです。
まず、動画はとてもクオリティが高いです。この作品は、空を飛んだり戦ったり爆発したりなど一切ない、きわめて地味な昭和30年代の「日常」を描いた作品なので、動画としてはものすごく地味。
だがその日常の描写に血が通ってるというか、すごく見ていて気持ちがいい。
ある意味派手なシーンよりごまかしが聞かない分難しいと思うが、それを見事に表現している。これだけでもこの映画を見る価値があるかも。
一見『となりのトトロ』のような、まるで田舎の中で自然と友達になるような、子供向けジブリ作品のような感触がある。
しかし実際は『トトロ』よりもグッと現実的だ。
もちろんどちらが優れているという話ではない。両方とも価値のある作品なのは間違いない。
ただ、こちらはあくまで「大人向け」の作品であるというだけだ。一見そう見えないだけで。
まあ実際『トトロ』にも、「あれは現実?それとも子供たちの妄想?」と思わせる部分があるが、この作品はむしろ、子供たちの妄想、言い換えれば「創造遊び」をメインにすえた物語だ。
ゆえに、その視線は時に残酷なまでに現実的だ。
加えて言えば、『トトロ』が自然賛美だったのに対して、こっちはぱっと見からすると意外なほど人工物を称えている。
タイトルである『千年の魔法』も、「人工物を手がかりに千年前まで想像力を飛ばす遊び」に他ならない。
この場合、よそでは自然の象徴のように描かれることの多い、広大な麦畑も「人工物」に他ならない。
一見ファンタジックに見えて、その実びっくりするくらい現実主義。
こういった子供が主人公の物語は、得てして大人の描写がおろそかになりがちですが、「子供を取り巻く現実」としての大人の描き方も容赦ない。
すれっからしのようでいて、それでいてどこかセンチメンタルだったり。
そしてもちろん、子供たちにもある意味容赦がない。
時代性もあるかもしれないが、わりと当たり前のように、登場人物の家族のうち誰かが死んでいて、いない。
田舎の町に引っ越してきた都会の子・貴伊子は、よくあるそういうキャラのように、ただおどおどと翻弄されっぱなしっではなく、負けん気を出して香水をつけて学校に行ったり、なにかしら思い出があるかもしれない色鉛筆を守るために戦ったり。
そしてクールなたたずまいの少年にはその理由があったり。
秀逸だと思ったのは、一見がさつそうで、それでいて想像力のたくましい主人公・新子が、転校生の貴伊子に声をかけるまでに、 ものすごく気を使って時間をかけている部分。
そしてそれら子供達の光り輝く世界は、大人の生々しく薄暗い世界の上に成り立っている。
大人が子供たちを守ってるから普段あまり触れ合うことはないが、何かの弾みでソレは領域を超えてはみ出してくる。
この映画には悪役は出てこない。もしあるとしたら、それは「どうしようもない現実」だ。
それらに接した子供は、何かしら変わる。その多くはしばらくたつと何事もなかったように日常に戻っていく。
しかし、一見元どおりに見えて、少しづつ変化している。もといた楽園とは少しだけ違う日常。
でもけして、その大人の世界を否定的には描かない。絶望的な部分でさえ肯定しているように見える。
この感触は、西原理恵子先生の『ぼくんち』に近いかもしれない。
そんな大人に囲まれて、子供でいることを貫き通して、 いつか大人になっていく。
何かもっともらしいことを書いといて、その実この作品について、私はよく解ってないような気もする。
なにしろこの作品を見て最初に思ったのは、「人に勧めたいが、説明に困る話しだよなぁ…」ってことだし。
まあ、間違いなく言えるのは、私はまたいつかこの作品が見たいって事だ。一度でいいのが多い中で。 ※1
ちょっと関係ないかもしれないけど、町の史跡・痕跡から当時の生活に思いをはせるの楽しみ方は、『タモリ倶楽部』や 『ブラタモリ』のそれだなぁって、ちょっと思った。タモさんはそういう意味で魔法使い。
※1)後日、渋谷の映画館でリバイバル上映した時に観返しました。