映画『シュガー・ラッシュ』感想(2013年3月30日記述)
※この記事は、過去に個人サイトのブログに掲載していたものを転載したものです。記述内容や感想は当時のものになります。ご了承ください。
※途中からネタバレになります。ご注意ください。
この映画は初日に観に行ったんですが、面白いと思った作品であればあるこそ、感想を形にするときにどれだけ伝えられるかと緊張します。
総評としては、ちょっとひっかっかるところがいくつかあるものの、全体的にはかなりご機嫌な映画になってます。
まずはあまりネタバレなしの感想から。
(というか、お話の本筋に触れない程度のビジュアル面や題材について)
最初に取り上げるポイントとしては、舞台となってるゲームの世界がしっかり描かれていて、すごく楽しいということです。
映画全体がテーマパークになってると言っても過言ではないでしょう。
それも、いろんなジャンルだけじゃなくいろんな時代のゲームが出てくるので、
「あのゲームの中に入ったらこんな感じなのかな~」
と妄想が膨らむ感じもたまらんですねぇ。
ジャンルごと・時代ごとに表現の仕様というか文法というか、ルールが変わってきてるのも面白いです。
もうこのまんまディズニーランドでアトラクションとして再現してくれないかしら。
細かいところで言うと、クリーム状なものが飛び散るシーンがあるんですが、よく見るとその飛び散ったしぶきがカクカクなドット絵をちょっと溶かしたような感じに表してるんですよね。
この表現が合理的かどうかはさておき、感覚的に実に「らしい」なぁと。
映像スタッフも「ここはこうするべき」よりも「ここはこうした方が面白い」の方を優先させたんじゃないでしょうか。
上の例だけでなく、実に細部に至るところで遊び心が満載です。
つぎにあげるべきポイントは、なんといっても実在のゲームが出てくることですよね。
言ってみれば「アーケードゲーム界のスーパーロボット大戦、もしくはスマッシュブラザーズ」的なイベント感。
「映画自体の魅力」として語るにはちょっとずるいなぁ(笑)とも思いつつも、やっぱり知ってるゲームのキャラが登場人物として描かれるとやっぱり楽しい。
メインキャラやセリフのあるキャラ以外にも、群衆シーンでさりげなく知ってるゲームのキャラがいたりすると、ニヤリとしますねぇ。
そして明記すべきは、日本のゲームの多さ。…といってもメインは80~90年代のモノですけど。
あのころの日本のゲームは本当に元気だったよなぁ…と、ちょっとさみしい気分にもなったりします。
まあ、今の日本のゲームが悪くなったというより、あの頃の日本のゲームの一人勝ちっぷりが異常だったという事だとは思うんですが。
それはさておき、私のような任天堂系大好きでスト2にガッツリはまった人間としては、まさに「よくできた二次創作映画」です。
外国(アメリカ)の映画なのに、異常に懐かしい世界観に浸れるという不思議体験。
…ところで、上に挙げた『スーパーロボット大戦』も、作られるまでにはクリアしなければいけない版権の問題が山積みだった
みたいですが、この『シュガー・ラッシュ』もどれだけの版権問題を乗り越えてきたんだろうと思うと、なかなかグッときますよね。
こういうのはさすがに手広く商売してきたディズニーブランドがあればこそなのかなぁとか、大人の事情も勘ぐってしまったり。
むしろ、アメリカで大人気だったにも関わらず、権利の交渉が決裂して登場できなかったゲームキャラもいるのかしらん?と、余計な心配までしたり。
そうやってある意味史実に基づいて築きあげられたゲームワールドに、いくつかの架空のゲーム、それこそタイトル(邦題)にもなってる
「シュガー・ラッシュ」を含む、お話のメインキャラが所属するゲームが混じってるわけですが、それらのゲームもじつに「実際にありそう!」と思わせるゲームに見えるのが、実にセンスがいい。
「シュガー・ラッシュ」は、女の子向けにかわいく演出した『マリオカート』のような感じだし、『フィックスイット・フェリックス』は、
『ドンキーコング』や『クレイジー・クライマー』などの、障害を避けつつ建物を登って行くゲームに近いような。
ブルーカラーの修理工ですし、配管工のマリオと仲がいいのもなんとなく納得できるような。
「なんかこんなゲーム見たことある気がする」から「こんなゲームならぜひやりたい!」まで、ゲーム好きのツボを心得ていると
いいますか、「お前ら(この映画のスタッフ)、どれだけゲーム愛してるんだよ」とw
そう言う意味では、この映画のスタッフは世代的にも(中心になるのが30~40代のクリエイターだと考えると)、80~90年代の日本のゲームの洗礼を受けてきてるのは不思議じゃないんだなぁと、振り返って感心したりします。
(余談ですが、最近日本でも放送された『グラビティ・フォールズ』というテレビアニメでも、どう見ても『スト2』と『ファイナルファイト』をモチーフにしたゲームキャラが現実世界に迷い込む話がありまして、やっぱり「このアニメのスタッフ…」と同じ様なことを考えたりしたのでしたw)
あと特筆すべきは、レースゲーム『シュガー・ラッシュ』の登場キャラクターの女の子たちをはじめとしたキャラの造形。
パッと見バタ臭い、実にアメリカンなキャラなのですが、プロポーションが実に懐かしさを覚える三頭身。
そして足首に向かって太くなる、手塚→吾妻系の脚。あれが3Dで動いてるってのがまず感激だったり。
ヴァネロペちゃん達に限らずデフォルメのキツいキャラが多数出てきますので、よくまあこれを3Dで動かしたなぁと感心するやらあきれるやら。
2Dじゃないと難しいんじゃ?ってなキャラが平気で出てくるあたり、技術とセンスに脱帽です。私のような映像オタクにもたまらんです。
ちなみにディズニー&ピクサー系の作品では当たり前ですが、
エンドロールで席立っちゃいけませんよ!
そこにも遊び心満載ですから。
…とまあ、世界観の話だけしてもキリがないくらい見どころ満載なので、そこはそろそろ切り上げて本題に移ります。
上に挙げたようなゲームやそれらの描写に興味がおありでしたら、それを見に行くだけでも損はない映画だと思いますよ。
以下、ネタバレありの感想。
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物語の舞台は先述のようにゲームの世界ですが、もっと正確に言うと、場末のゲームセンター。
きっとこのゲーセンの店長は、予算の問題で最新ゲームが入荷できないだけじゃなく、地道に集客のあるゲームをきっちり残すタイプなんだろうなぁと思わせる、新旧入り混じったラインナップが微笑ましい。
どうやらゲームキャラ同士は、電源コードから電源タップを介して行き来できる模様。
上であげたような一見華やかなゲームの世界で描かれるのは、意外にも現実世界と地続きの世知辛い社会。
ゲーム個別でも長年の人気作品なら古いゲームでも現役バリバリで、人気がないと失業、酷いとゲームごと店から撤去されてしまう。
そして、ゲーム内でも主役・悪役・その他の格差が。
この物語の主人公ラルフは、往年の人気ゲーム「フィックスイット・フェリックス」の悪役で、ゲームの人気が保たれれてる分
仕事にあぶれることはないが、自分に課された「悪役」という役割に嫌気がさしている。
ちなみに「フェリックス」は、ラルフが壊していくビルを、主人公のフェリックスが魔法のハンマーで直していくというもの。
この「壊し屋」ラルフと「直し屋」フェリックスという特性が、のちのちのストーリーに効いてきます。
どうやらこの世界では、ゲーム上の役割がそのキャラクター(もしくはプログラム)の「仕事」であるらしく、しかしそれでいて「悪役」がゲーム内社会においての「性格」にも反映されていて、悪役はゲームが終わっても、そのゲーム内の社会では嫌われ者らしい。
ゲームの主人公であるフェリックスは、ラルフに対してまだわりと気を使ってるものの、その他大勢の一人であるジーンなどは、露骨にラルフを毛嫌いしている。
…正直この部分はどうもしっくりこないのが正直なところ。
ゲーム内の「悪役」という仕事を真面目にこなしている上に、メインの悪役といったらゲームでも映画でも「花形」といってもいいだろうに。
でも「フェリックス」の世界では、名もなきモブキャラにすら見下される嫌われっぷり。
ここは考え方にもよるのかなぁとは思いますが、逆に上に述べた様に悪役を「華のある役」という先入観を排して、むしろTVドラマの一般の視聴者が、悪役を演じる俳優自体を毛嫌いするくらいの意味合いにとらえるべきなのかなぁと。
この後お話が展開するうえでも、やはり「悪役」は「社会的にも割を食う、比較的損な役割」くらいに考えた方がいいみたいです。
ラルフのゲーム社会でのポジションは、「社会に立派に貢献してるのに、イメージや誤解からくる偏見で低く見られてる仕事についている人物」といったあたりみたいですから。
が、それを脳が納得するまでに少々シフトチェンジに手間がかかるあたりが、ちょっとどうなのかなぁと思ったり。
この話をするにおいて避けて通れないのが、CMで話題になった「ザンギエフは悪役か?」問題ですね。
『シュガー・ラッシュ』のCMで、悪役の互助会(というかグループセラピー?)である「BAD ANON」で、『スト2』のベガや『ソニック』の
Dr.エッグマン、『マリオ』のクッパなど、押しも押されぬ悪役中の悪役に交じって、ゲームの設定上はけして「悪役」とは言えないザンギエフが「俺は悪役だ」と名乗り上げるシーンが印象的で、ネットなどでも
「ザンギは悪役だっけか?」
と話題になりました。
『スト2』における実際の彼はエンディングなどからわかるように、当時のソ連の大統領から任命されたスポーツ親善大使であり、むしろ「ナイスガイ」とも言える訳ですし、さらに言えば『スト2』は「仮の主人公」として、前作『ストリートファイター』の主役だったリュウとケンがいますが、プレイヤーが自分のキャラとして選べるのはリュウ・ケンを含めた8人で、その全員にストーリーがあるといった、マルチストーリーが売りのゲームでもありました。
要するに、ザンギエフも主人公の一人だったわけです。
でも印象で語れば、リュウ・ケン・春麗・ガイルの「主人公っぽいキャラ」と比べて、ザンギエフ・本田・ブランカ・ダルシムはどちらかと
いうと脇役っぽかったわけで、さらに言えば本田たちのようなユーモアキャラでもない上に、技の中に「かみつき」というヒール技も持っていたザンギエフは、「悪役じゃないけど悪役っぽいキャラ」という印象を持たれてる可能性は多分に含んでいるキャラだと言えます。
実はここで、この映画における「悪役」の位置づけを定義してるのだと思われます。この「ザンギエフ問題」にも象徴されるように、ここでは
「悪役」→「根拠はともかく印象が悪い」→「社会的に損な立場」
くらいにとらえておいてくださいねーというのが、このシーンでの制作者側のメッセージなのでしょう。
まあ、この件に関しては言語の「BAD GUY」が日本語の「悪役」とどのくらい差があるのかなどという問題も出てきますし、その辺に関しては
専門的な知識もないので、あくまで私の解釈ですけど。
説明が回りくどくなりましたが、この映画の肝となる部分だと思うので、私としてはここは避けては通れない部分です。
ここまで噛み砕いてようやく、ラルフのポジションを明確に把握できた気がします。
こんなラルフには、ディズニー映画のメインのお客さんである子供より、むしろ「自分の希望通りの職に就けなかった」お父さんや、自分が何者にもなれず、自己評価と周囲の評価のギャップに鬱屈している若者の方が、より共感できるのではないでしょうか。
そんなラルフが自分の扱いにずっと耐えてきたものの、自分の所属ゲームの30周年記念のパーティにすら呼ばれないことからついに耐えかねて、
自分の地位に革命を起こそうと決心する姿に、声援を送る人も少なくないでしょう。私もその一人です。
しかし、本来のゲームの役割を捨てて変わろうとする行為をこの世界では
「ターボする(go,turbo)」
と呼んで恐れています。
かつての人気ゲーム、『ターボ・タイム』の主人公・ターボが、その人気を喰ってしまった他のゲームをねたみ、自分のゲームから抜け出して暴れまわった挙句にゲームの撤去に追い込んでしまったエピソードからくるものらしい。
そんなラルフがお菓子の国のレースゲーム「シュガー・ラッシュ」で出会うのが、本作のヒロイン・ヴァネロペ。
彼女はプログラムに欠陥があるらしく、ゲームのメインキャラとして扱ってもらえないもう一つの「孤独な魂」。
そんなヴァネロペに共感したラルフは、彼女がレースに復帰できるように協力することに。
…私はこういうのにすごく弱いんですよねぇ。同じ傷を持つ同士が出会って、傷をなめ合って、そしてともに前進しようとする姿に。
全くの他人であり、立場も性別も異なりながら、こんなに信頼できる仲間もないわけですから。
最初はいろいろと反発しつつも、少しづつ相手のことがわかってきて打ち解ける描写が丁寧なのもマルです。
一緒に作ったカートに二人で署名するシーンはほんとにグっときます。
一方、悪役のいなくなってゲームが成り立たなくなった『フィリックス』からラルフを探しにフェリックスが、そしてラルフの大暴れがきっかけで逃げ出した『ヒーローズ・デューティ』の敵モンスターを追って女軍人カルホーン軍曹が、それぞれ『シュガー・ラッシュ』にたどりついて、のちのちラルフ達と合流することになります。
この二人がたんなる脇役に収まらずに、要所要所でいい味を出してるのがこの映画の魅力でもあります。
キャラの設定がきっちり生かされてて、キャラを大事にしてるなぁと感心しきり。
特にフィリックスの「直し屋」スキルは、この映画のメインストーリーから小ネタまで、いたるところで活躍するのがステキです。
どうでもいいけど、カルホーン軍曹がヒラコ―先生のキャラにしか見えなくて、観てる最中何度か笑いました。
さて、ラルフとヴァネロペに加えて、この物語のもう一人のキーマンに、『シュガー・ラッシュ』の世界の統治者・キャンディ大王がいます。
彼はラルフに、不具合を持つヴァネロペがレースに出場すると、『シュガー・ラッシュ』自体が欠陥品とみなされ撤去されるの危険があり、また撤去されるとなると、他のプログラムと違って欠陥プログラムであるヴァネロペは、セントラルステーション(電源タップ)に逃げ込むこともできないとこを告げる
(ここは「なぜそうなのか」が最後まで明確に語られないのがちょっと不満)。
ヴァネロペのためにも彼女をレースに参加させないよう大王に頼まれ、心を鬼にしてヴァネロペのカートを壊すラルフ。
最高のコンビであった二人は、仲間を思う故に引き裂かれてしまう…。
しかし実は、このキャンディ大王こそこの世界の禁忌「ターボ」の名前の元となったターボその人であり、彼の「ターボ」によって撤去されたゲームからも逃げ延びて、本来の主人公であるヴァネロペのプログラムをいじって欠陥プログラムにし、自分こそが『シュガー・ラッシュ』の主人公として「ターボ」しようとしていたのだった。
ここではっきりと見えてくることが。
つまりターボはラルフの影であり、ラルフやヴァネロペと同じ孤独な存在である彼が、自分の欲望のままに「ターボ」し、一線を越えて闇に落ちてしまった姿であり、同情に値するがもはや救えない存在であるということ。
ゆえに終盤のラルフとターボとの戦いは、ある意味自分との戦いだともいえる。
ディズニーやピクサーに限らず、子供向けアニメは時に無理やり悪役を設定しなければならず、結果として後味の悪くなってしまう作品が少なくないと思うのですが(たとえば『カール爺さん』の悪役マンツも、スタッフインタビューではカールの写し鏡だと語られてるそうですが、それにしてもあそこまで追い込まれるまでの過程が不憫すぎて、私にはあのラストがどうしても受け入れられませんでした。)、ターボはそういう意味では自己実現のためにまったくなりふり構わず、一回取り返しもつかないことをしてしまった上にさらに罪を重ねようとしてる、それこそ一線を越えてしまってる役として、ラストの処遇を含めて腑に落ちる扱いでした。
そして本来の姿を取り戻してはばたくヴァネロペは、現代版の『みにくいあひるの子』なのかなぁとも思ったり。
といった感じで、この作品はわりとテーマが骨太で一貫していて、視聴後感のすがすがしさが素晴らしいです。
この騒動の後、ラルフは元の自分の場所に帰っていくのですが、ポジションはまったく元のままなのに見るからに生き生きとしてます。
映画のラストで象徴的に描かれてるように、
彼は元の場所にいながら、見えているものが全く違うのですから。
前回(※註:記事制作当時)感想を書いた『プリキュアASNS2』でも共通して描かれてるように、「自ら変わろうとすることに意味がある」のですが、それが他人から見て劇的に変わってるとは限らないというのが、この映画と主人公ラルフの「身近さ・親しみやすさ」のような気がします。
…とまあ、最初に書いた通り全体的には大満足なんですが、細かいところにあちこちひっかかったのも事実ですね。
すでに書いた「悪役とは?」という点もそうなんですが、この映画独特のルールがあちこちに散在していて、それを飲み込んで咀嚼するまで
どうしてもひと手間かかるというのがまず一つ。
たとえば、欠陥プログラムであるヴァネロペだけが、ゲームからセントラルに逃げられないとか、ヴァネロペがシュガーラッシュでゴールすることによってゲームが元に戻るとか。
特に後者は、ターボがプログラムをいじれる以上、どうとでもなる設定なので余計に腑に落ちないと言いますか。
それと、すでに言及してる人も多いみたいですが、「ヴァネロペの不具合は魔法のハンマーでは直せないのか」とか。
この辺はいろいろと考えてみたものの、そういうもんだと納得するしかないかなぁと。
あと、ゲーム『フェリックス』の、フェリックス以外のキャラとラルフは打ち解けあえたんだろうかという点。
フェリックスはもともとラルフのことに少しは気を使ってた上に、今回の事件を機にさらにわかり合えたようで何よりなんですが、ビルの住人達とは具体的にどう変わったのかは描かれてないんですよね。
特に残念だったのは、ラルフがいなくなって『フェリックス』が成り立たなくなったときに、フェリックスは事の重大さに気づいて動きましたが、住人達はその場に見切りをつけて逃げたんですよね…。特に住人の代表格であるジーン(ひげのおっさん)は、あれだけラルフを馬鹿にしてヒーローになれないと決めつけたのに、メダルを持ちかえったラルフに「本気だったのか…」と呆れつつ、
「これで満足か?」
と冷たく言い放つばかり。
ゲーム『フェリックス』はラルフなしでは成り立たないという現実を間近にしつつそれですから。
でもあれは、現実と地続きな社会としてのゲーム社会を描きたかったのなら、それはそれで正解なのかもなぁとも思うんですよね。
自分が変わって振り向いてくれる人もいるかもしれないけど、全員がそうなってくれるというのはさすがに夢物語だと。
映画『シュガーラッシュ』のラストはとってもハッピーに甘いけど、どこかちょっぴりビターテイストといったところでしょうか。
でもそれなら、ジーンはさすがに無理にしても、他の住民が一人でもラルフに謝ってくれたらなぁと思うんですよね。あくまで希望です。
むしろフィリックスやカルホーンに注がれてるほど、ビルの住民たちには愛情が注がれてないような気がして。
長々と書きましたが、不満を多く上げたのも含めて私がこの映画を気に入ったからだと解釈してくださるとうれしいです。
気に入らない作品にわざわざ長文書くほどヒマじゃないですし。
愛ゆえですよ、愛。
あ、言い忘れてましたが、ヴァネロペ(吹き替え)役の諸星すみれさんは13歳だそうですねぇ。
むちゃくちゃ演技上手いですね!声もかわいいし!
『アイカツ』の星宮いちご役とか、様々な劇場用アニメのキャラとかでも出演してるようで、これまた恐ろしい子役が出てきたなぁと。
(上に挙げた『アイカツ』とのコラボネタは、この絵辺から来ています)
それにしても、今年の子供向け春映画は当たりが多くてうれしい悲鳴です!
いまのところ『ドラ』『プリキュア』『シュガー・ラッシュ』と全部当たり!
後は4月末の映画『クレしん』を見に行く予定ですが、これもあたりだといいなぁ。
あ、ちなみに『ドラゴンボール』はまだどうするか検討中です。