雨との付き合い方
最近の天気は、雨、くもり、雨、雨、雪。(雪!?)
雨の日は、もともと偏頭痛持ちなので、低気圧のせいで頭が締め付けられるし、アイロンでまっすぐに矯正した髪も、外に出て3分経ったら毛先は隊列を崩し、それぞれ思うままに飛び跳ねる。
ズボンの裾は冷たく湿るし、お日様の暖かい光を浴びて光合成もできない。
雨なんか嫌い…
これが以前の私。まるで前世、最後の晩餐を雨でぐちゃぐちゃにされたかのような嫌いっぷり。(最後くらい屋内で食べるべきだったと思いますが。あ、もしかしたらバーベキューだったのかもしれません。ならしょうがない。)
ですが、雨の多い地域に越してきてからは、考えがちょっとずつ変わってきました。
せっかく雨が降りやすい街に越してきたのに、嫌いのままで終わらせるのはもったいないし、楽しめない自分を突きつけられているようでなんだか腹が立つ。
神様か空かなにかから、「どうだ〜辛いだろ〜」とバカにされているような気がしてならない。(単なる自意識過剰)
じゃあ雨を好きになってやろう。今に見とけ。私にだって好きになる権利くらいある。
そんなこんなで、雨との付き合い方について考えるように。
今では雨の日でも「お、雨だ。最近雨降ってなかったからなー、農家さん良かったねー」と、全く顔も声も知らないような、世界のどこかにいる農家の方に思いを馳せるまでに成長しました。
今回は雨の日から得られるものや楽しみ方について、私が感じたことや考えたことをただただメモしておきます。完全私得。
なのでもしこれを読んでくださる方がいるのなら、「変なヤツだな〜」と安心して気持ち悪がってください。
情報過多からの脱却
ある日、友達と一緒の帰り道、気付きました。
雨が降っているからこそ、車の駆動音、通行人の足音、落ち葉が風に吹かれる音…。普段なら気になって仕方がない環境音が聞こえなくなって、本来集中するべき方向に狙いが定まる。良い意味で感覚がまぎれる。(あ、良い意味でってつければ大体なんでも解決することは、今は気にしたら負けです)
だから、友達の話し声がいつもよりストレートに頭に入ってくるんです。これは最近の悩み、「環境音が気になりすぎて話に集中できない」を見事に解決してくれました。
1人でいる時も同じ。ついつい妄想に思いを馳せてしまいます。
コンクリートに打ち付けられる雨を見ていると、白い波がたっているようで、荒れ狂う海にくり出す海賊船を思い浮かべてみる。
宝はどこにあるのだろう。暴れる帆を力任せに引っ張り、追い風を受けてグングン進んでいく一隻の船。頑張れ。雨にも風にも負けるな。
そんな妄想をひとしきり楽しんだ後で(と言っても5秒程度)、私は目的地へと急ぐのです。
合法的な言い訳を得られる
これはあるあるかもしれません。
雨だと上手くいかなくても「まあ雨だし、仕方ないか」で済ませられるんです。(でも済ませられないこともあるので使いどきにはご注意を。)
「雨だから体調が悪い」「雨だからテンションが上がらない」「雨だからネガティブになっちゃう」
って言葉、よく聞きませんか?
魔法の枕詞、「雨だから」を駆使すれば、大抵のことは許されます。少なくとも私は許されてきました。それは私の周りの人がそれはもう素晴らしい人格者で、私を甘やかしてくれていただけかもしれませんが。
それに、すごく落ち込んでいたとしても、雨が降っている時は落ち込んでも良いよと誰かから許可されている気がして、安心して落ち込めます。
「雨だから落ち込んでもいいか」と開き直って落ち込むので、もはや本当に落ち込んでるのかわかりません。それはそれで楽しかったりします。
最強の盾(ビニール傘)
それに、雨の日は傘という最強の盾を装備できます。これも大きい。
もちろん、物理的に防御力が上がるというのもあります。雨や雪を凌げますし、天敵、鳥のフンからも身を守れます。
でも最近はそれだけじゃなくて、芸術的な魅力を感じるようになりました。
ビニール傘に雨が当たるのを見ていると、ひとつの雨粒が流れて別の粒に合流。そしてその粒がまた別の粒へ。どんどん膨らんでいく雨粒を愛でていると、「人間関係ってこういうことだよな…」と謎の悟りを開くことになります。(?)
傘にあたる雨の音もいいですよね。それぞれ音が違っていて、傘が、360度どこからでも雨音が鳴り響く、最強のホールと化します。
傘によって視界が狭まるのも、安心します。今は外の世界を見なくていい。感じ取らなくていい。
「他の人の世界はいいから、今は自分の世界だけを見ろ」と許される気がするのです。
まあこれを書いている時は初雪が降っているので、今度は雪との付き合い方について考えなきゃなーと、恐怖で若干震えております(物理的にも)
天気は変えられないので、毎日振り回されるより、楽しみつくしてやりたいですね。
最後に。
ここまで読んでくださっている方、ありがとうございます。
どんな人でもそれぞれ悩みを抱えていると思います。それらは、私の低い想像力では辿り着けないようなことばかりなのでしょう。
いつもいつもお疲れさまです。悩みを忘れて一息つける瞬間が訪れますように。そして私のnoteで、そのお手伝いができていたら嬉しいです。
ではまた。