『全自慰文掲載 又は、個人情報の向こう側 又は、故意ではなく本当に失敗し、この世の全ての人間から失望されるために作られた唯一の小説』その4
Ⅱ-1 私のアトリエ①
もう、「ここ最近」が判別がつかなような酷暑日続き、かつ、昏睡状態の最高潮である正午頃に限って、インターホンが鳴る。
「目次さん、目次さーん!」
自治会関連の人の来訪である。
ちっ、と思う。
と同時に、しまった! 雨がもう、降ってきたのか? 洗濯物を入れなければ、とも思ってしまう。
脂汗を拭い、昏睡状態から自分の体をなんとか起こさせようと、必死で努力する。
ここ連日、これだ。
自治会長に担ぎ上げられた当人である父が外出している時に限って、なのだ。
その父とは30年以上、家庭内別居状態の母が、自身の趣味と買い出しに出かけている頃合いに限って、これなのだ。
父は2023年に入り、地元の住民たちから推薦された自治会長の任を、本人曰く、「お前ら、寄生虫を養っていくための生活費以上の、預金なんてもうないから。せめて、今後の自分の医療費を、少しでも稼いでおかねぇといけねぇ」ために甘んじて受け、日々、俺のチャリを勝手に使い、四方八方にこき使われている様子なのだが、父は昭和の親父そのもののようなローテクな人間であるから、携帯電話での電話番号の交換の仕方も分かっていない。そのため、連中に連絡先を教えていない弊害として、こうして父が意図しない時に、すれ違い的に、その自治会の輩が度々来訪するのである。
俺も母と同じく、「関係ないんで」という態度を決め込み、居留守を決め込めばいいわけだが、それが出来ないのである。
俺は精神疾患の方の障害基礎年金を貰っている、れっきとした「病人」なわけだが、それよりも、「41才にもなってすねかじりの引きこもりである」ということの後ろめたさが、脅迫観念的に勝ってしまい、つい「少しでも、役に立たなければ」と思ってしまうのである。
ことにも、今日のように、母の方から事前に、
「今日、お昼ごろから、雨降るみたいだから。出来るなら、洗濯物入れてね」
などと任された日に限っては、それをこなさないと、――いや、それをこなしたところで廃人である、という事実は変わらないのだが、少しでもそういった形で家庭に貢献しないと生きている資格がない、という思いから、常にびくびく緊張状態にあるのである。
俺は後ろ毛をピンクのゴムで結び、最低限身なりを整え、今まで昏睡状態にあったことなどおくびにも見せず、玄関を開け、
「あ、すみません。自治会の方、ですよね? 父は今、それこそ、自治会の件で、出かけているんです。ちょっと、待っていただけますか?」
などと言って、自治会の連中であろうおじさんを玄関先に待たせ、居間に行き、適当なメモ用紙に、父の形態の番号を書いてはすぐ戻り、
「あの、これ、父の携帯番号です。出来れば、これを、皆さんで共有してもらえますか? お願いします」
と言って、そのメモ用紙を受け渡し、なんとか、その場を収めた。
が、俺の心には疲労以上にやり切れない思いが残る。
「ここ最近」の俺はずっとにきびが出来ていて治っておらず、そして、長髪のポニーテールも縮毛がかかっていないくせ毛の部分が伸び始めてきて、容姿として、万全ではない状態で他人と顔を合わせてしまったからである。
昏睡状態から無理矢理目覚めさせた、重たすぎる身体を、二階の自室の布団にどさっと戻す。
正午12時20分。
自室の小型の時計が、この時間で止まっているのに、その時、ふと気がついた。先日、一階のテレビが、この夏の暑さのせいか、壊れて、映らなくなった。
壊れたものが、もう一つ増えたな、と思った。
それよりも、このままではまずい。
ここ1年間、医者から20年以上貰っている各種様々な向精神薬の一切を勝手に断薬した、というのに、俺の肝臓はもう老人以上にぼろぼろになっているのか、午後の2時半ぐらいまで、自力ではどうしても起きられないのである。
逆に言えば、そこで眠らないと、午後、少しも稼働できない体になっているゆえ、今こうして、正午に無理矢理起きて活動してまったことにより、より酷い昏睡状態に引き戻されるだろう。雨が降る前に起きて洗濯物を入れられるかどうか妖しくなってくる。
なんとか、起きていなければ。
不本意なタイミングだが、最後のヘパリーゼを飲むか。
俺の自室の布団の周囲、あるいは、パソコンを置いているテーブルの上には、この開封後のヘパリーゼのビンが、チェスの駒のように置かれてある。
俺の障害基礎年金は二ヶ月で約12万なのだが、それでは間に合わず、「引き落としがされませんでした」という月が、今年に入って出てきた。
それもこれも、このヘパリーゼをクリエイトで二ヶ月分も買うからである。
この、ヘパリーゼという第二医薬品がもたらす、肝臓へのガソリンがなければ、俺は1日中、寝たきり状態で終わってしまう。
そもそも自転車でクリエイトへ行くことも出来ず、洗濯物一つ入れられず、時々実家に帰省する姉の帰り道のエスコートすら、出来ない体なのである。
しかし、体にはタイミング、というものがあり、酷使したタイミングでこのヘパリーゼを飲んでも大して効果がなく、昏睡状態になってしまう時もあるのだ。
どうする?
――ここは、飲むしかない。
ぐび、と飲み干し、普通なら、30分で効果が出てくるのに、やはり、タイミングが悪かったのか、もう、眼の前まで、悪意に満ちた眠気が、襲ってくるではないか。
まずい、まずい、と思っていたら、――母の自転車が泊まる音がした。
俺は、まるで腹を撃たれて負傷している兵士のように、息も絶え絶えの態で、すがるように自室の窓から、外の物干し竿を見た。俺に頼んだはずの、洗濯物を、母が前言撤回と言わんばかりに、回収し始めていた。
「ああ、いいの、いいの。今日、プログラム一つ切り上げて、早めに帰ってきたから」
「良くない! なんで、入れたの⁉」
情けない話だが、俺はさすがに、怒声をあげる。「今から俺、本当に、入れよう、と思ってたんだよ! 本当に!」
「はじめ、もう、無理に起きられない体なんでしょ? この前も、任せた時、濡らしちゃったじゃない。だから、いいの」母は平気の平左である。
俺は、色々な思いから、じゃあ最初から頼まないでくれ、と本当に悔しく思う。
これは、不快な「中断」である。
この「中断」の苛々は、まるで、オナニーをしていて、射精突然に妨害にあったような、不快さを残す。
この「中断」の不快さは、心のコップの中に、徐々に徐々に蓄積されていく。
そういえば、――俺はもう、こういう度重なる「中断」のせいか、それとも、この酷暑日続きの暑さのせいか、その両方のせいなのか、もう一ヶ月以上、オナニーで射精出来ていない。
変な話、41歳の廃人状態になっても、まだ、手元に残っている要素は、薬と、煙草と、オナニーだけであった。
こんな、死の間際の廃人状態になっても、あるいは、死の間際の廃人だからなのか、まだ、射精が出来る・出来ない一つに、人生の大半の鍵を握られるハメになるとは、思ってもみなかった。
俺が今、余力を注ぎ、本当に「遺書」として書いている文章が、オナニズムの研究になる、とは、思いもよらなかった。
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