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とんがり帽子のアトリエ(マンガ)【な、読書感想だったろ?】(著:白浜鴎)

欧米向き輸出枠。
日頃、日本の漫画とかアニメを大量に消費しつつも、
やれロリが出るのはけしからん、
やれ暴力的でけしからん、
というポリコレ棒で叩かないと気がおかしくなってしまうキリスト教原理主義勢力にして「あ、これならいいかも」と言わしめる作品です。

要するに私が言いたいのは、
「この作品はソフトだ」ということです。
それでいて絶対的な面白さは、やはりはっきりとあります。

どこの親御さんでもこの作品にケチをつけられる人はいません。

今回は日本発の「良心的?」純ファンタジーマンガ。
「とんがり帽子のアトリエ」を紹介させてください。
おそらくアニメ化は確実(調べたら決定してました)

絵柄もフランスの漫画(バンドデシネ)と勘違いしそうな丁寧な感じです。
これで色がついたら本格的にフランス漫画と勘違いするでしょう。
私は服飾デザインに興味がある人なので、作内の服装デザインに眼が引き付けられますね。
単純にデザインだけ見ても、それだけで食べていけそうなレベルの作家さんだと思います。

*****

舞台は中世ヨーロッパみたいな場所で、魔法使いが実在する世界です。
主人公の少女ココは魔法使いに憧れますが、
「魔法使いの血筋に生まれないと魔法使いにはなれないのよ」と言われ、がっかりしてあきらめていました。
しかし誰かが魔法の本をココに渡すのです。

魔法のひみつ、それは・・・
魔法の粉インクで魔方陣を描くこと。それだけ。
誰にでも出来んじゃん!
でも魔法の本に書かれた魔方陣を実際に描いてみると、

・・・お家とお母さんが石化してしまいました。

なんてことでしょう!!

ちょうどココと知り合いになった魔法使いのキーフリー先生に助けられ、
本当は外部の人間は魔法使いの弟子入りは決して許されないにも関わらず、
例外的にココはキーフリー先生に弟子入り、お母さんを元に戻すために魔法の勉強を始めます。

ココからが始まり(なんちゃって)

同じくキーフリー先生の下で姉弟子である女の子たちと友達になったり、あるいはライバルになったりと、様々な試練をくぐりぬけながら、ココは成長していくのですが、

そこに「魔法の本」を渡した悪い魔法使い「つばあり帽」が接近してくるのです。

いわく「魔法使いたちは魔法の可能性を否定し、歪めている。もっと魔法は自由じゃないといけない」
一方で魔法使いたちも「つばあり帽」が「魔法を濫用して世界を破滅させる寸前だった」と語ります。

実際に作中には、あたかも現代の放射能汚染地帯を連想させる、魔法によって忌まわしく異様な姿に変えられた自然環境が実在しています。
(そういった場所が冒険の舞台になったりするのですが)

作中要素としては他にも、

優れた才能を持ちながらも評価されない姉弟子アガットからの嫉妬。
(作中では友情パワーを背景にしたアガットの成長も描かれますよ)

「つばあり帽」を敵視する魔法使いの憲兵「魔警団」から、なぜか目の敵にされるキーフリー先生の秘密。(魔警団が主人公の話もいい感じ)

いちばん最初に「つばあり帽」に参加したのは、人々の病を治す医療魔法の使い手たちだったという驚愕の過去。(登場する「つばあり帽」たちもいずれ劣らぬ魅力的な人物造形)

ストーリーの紹介はこのくらいにしておくとして。



良心的・・・と上に説明しましたが、
エンデの弟子(そんなこと言っていいのか?作家でもないのに?)の端くれとして、少しだけ言わせていただければ、
およそファンタジーにおいて良心的というのは、きわどいものを描くか描かないかではありません。

童話作家ミヒャエルエンデは自身の作品を「モラーリッシェファンタジー」と定義してしました。そういう作品を目指して書いていたという意味ですが。

このモラーリッシェファンタジーは直訳すると「道徳的な想像力」ですが、
対義語はアンモラーリッシェファンタジー「不道徳な想像力」ではないそうです。
本当の対義語はモラーリッシェステリテート「道徳的不毛」

すなわち「周りが言ってるから」とか「そういう風に決まっているから」という理由で選択された道徳的な行いは、まったく道徳的ではありません。

それどころか「そんなことをしたらダメだよ」とか「そんなことをしたら嫌われるよ」と言われて、それでもなお選択された(正しい)行いだけが、「道徳」と呼ばれる行為なのです。

もちろん本当に正しいかなんてその時はわかりませんよ。

そしてもうお分かりでしょうが、本当の「道徳」は教えることができません。
だって教えたらその瞬間に「あの人が正しいと言ったから」という理由で選択された「道徳的不毛」になってしまいますから。

でも登場人物が「道徳的想像力」を行使している場面は、作品という形で見せることができる。
それがおそらくは良心的なファンタジーと呼びうる作品・・・・少なくともミヒャエルエンデはそう思って書いていたようです。

そして「とんがり帽子のアトリエ」は、
やはり本当の意味でも良心的なファンタジーです。

(そういう意味では表面的にはエログロな「メイドインアビス」なども良心的ファンタジーの条件を完全に満たしている作品と呼んでいいでしょう)

たとえ内容がコメディであっても、空想的すぎても、
正しいかどうかわからない選択肢を、それでもなお選択しなければならない、言い訳は許されない、そういう場面では誰もが息を呑みます。

抜き差しならないほどシリアスなのです。
それはもう、おとぎ話ではありません。
その時のファンタジーは、リアルよりもリアルです。

実際の人生は思ってるよりずっとスカスカで、自分の選択が誰かの命を左右するなんて致命的な事態はそうそう起こりません。

でも、人生の本当の意味はそういうことです。

いつか必ず本番がやってきます。
選択できないことを選択しろと運命に強要される瞬間が、誰の人生にもやってきます。

人間が心なんていらないと言われつつも、それでも心をもって生きているのは、自分の選択が誰かの運命を左右しかねないようなときに、間違えないようにするため。

だからこそ、私たちは他人の痛みや悲しみや、あるいは喜びや楽しさに、共感できるように作られているように私は思います。

もちろんサイコパスの人は、それはそれでアリだとも思えますけど。

私がこれまで読んできた限りでは(まだ未完の作品ではありますが)
この作品は上述の理由で、期待を裏切らないレベルであると、私は感じましたよ。

さて、今回の紹介はどうでしたでしょーか?
それではまたちゃんとした書評も下に貼り付けておきましょう。

#読書の秋2022 #マンガ #アニメ #ファンタジー #魔法使い #マンガ感想文 #ミヒャエルエンデ

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