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無価値感を乗り越える

少しだけ、楽になった方法のメモ。

無価値感を形成しているのは、幼児期から思春期にかけて無条件の愛に十分触れられなかったことですが、そこを乗り越えるというか埋めるためにやってみたことをメモしてみます。

無価値感の形成

幼児期に無条件の愛情を受け取っていないと、そのままの自分でよい、OKであると感じることができません。(I’m not OK)

私の場合、大人の機嫌や要求を満たさなければいけない、甘えてはいけない、我慢しなくてはいけないという状態でした。周囲の(理解できない)理不尽な要求にこたえるために常に混乱し、幼い私にとって、世界は危険で怖い場所、人は怖く、生きることは苦しくて絶望でしかありませんでした。

もちろん、いつも気分がすぐれません。

(普通の人の気分・感覚はこんなに自由なのかと知ったのは、婦人科でPMSの治療を受けてから。目的は、PMS対策でしたが初めてすっきりした気分を味わいました)

友人や大切な人から愛情を注がれても、穴のあいたバケツに入れているようなものでいつも満たされません。いろいろな心理学や心理療法を学んでも満たされません。(穴がふさがりません)

他人の機嫌が悪いと怖くなり、役立っていると感じないと落ち着きません。常に他人と比較して、できていないことばかりを数えて落ち込みます。

共感を体験してみる

そもそも、欠損しているので「無」から何かを作り出せるわけではありませんが、大人になった自分で穴をふさいでいく努力をしました。

その一つが、「共感」の体験、無条件に受け入れてもらえることの疑似体験です。

相性の良いカウンセラーに出会ったわけではなく、ある著名なカウンセラーの本で自分の抱える無価値感へ共感を疑似体験をしました。彼は、ただ、来談者の状態を一生懸命想像し、苦しみをひしひしと感じ、来談者に寄り添っていました。

事例として書かれている来談者(勿論事実のものそのままではなく、加工してあります。しかし、「大人の世話」をして育った子供時代を持つ人の体験や自己認識の傾向は似ています)の状態が自分に似ているというところも、疑似体験できるきっかけだったかもしれません。

バケツの穴が埋まっていくように感じられました。

この体験は、無意識に求める幼児期の愛着欲求を意識上に引き上げて、疑似体験したからかと思います。もちろん、完全に無価値感から抜け出したわけではありませんが、目の前の人からもらえる愛情をちゃんと受けとることができるようになったと思います。

(うまく言えませんが、床ができたというか、目の前にあるものを見れるようになったというか)

SNSで無価値感に悩む人が、自分のして欲しいことを人にすることで埋まるとカウンセラーにアドバイスされたということが拡散されていましたが、個人的には自分も満たされていないのに、人に与えてばかりでは悪化するだけではないのかと思います。

ある作家さんは、子どものころやってもらえなかったことを大人になってから自分で自分にしてあげていることで癒されたと書いていました。これも無条件の受容を疑似体験しているのかな


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