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小説 「僕と彼らの裏話」 26
26.高望みは しない
ビジネスホテルの一室が「新居」であるかのように、僕らは2人で ひっそりと『潜伏』した。そこで、引越しや各種の手続きに関する『作戦会議』を重ねた。家具の配置や、車を買うかどうかについても話し合った。
部長は、新婚当初の思い出として「2人で缶詰を食ってるだけで楽しい」と言っていたけれど……確かに、そうだ。室内での「安静」やコンビニ食が続いても、彼女が側に居てくれるだけで、僕は満足だった。
彼女が無事に札幌に帰り着いた後も、先生は岩手から戻らなかった。
向こうで執筆をするためか「資料室にある書籍の一部を宅配便で送ってくれ」という指示を受け、僕は合鍵を使って先生宅に入った。
指定された書籍と共に、和室の押し入れに しまわれている悠介さんの着替えを、送らなければならない。
1階の和室で大きめのダンボール箱を組み立て、まずは3階から持ってきた書籍を詰める。
そして、押し入れの中に並んでいる引き出しから、彼の下着やTシャツ、ジャージを、あるだけ引っ張り出して箱に詰める。
その荷造りの最中、僕は室内の異変に気が付いた。
床の間から、先生の絵が無くなっている。悠介さんの【宝物】……「自分が死んだら、棺桶に入れてくれ」と言うほどの絵を、先生が、今回あちらに持って行ったということだろう……。
要するに、彼の今回の入院は「長くなりそう」ということである。
大事に至らないことを、祈るしかない。
僕も、つい先日 救急車に乗ったけれど、点滴のみで帰ることが出来た。……運が良い。
己が生かされていることを、感謝しなければならない。
先生宅に宅配業者を呼んで荷物の発送を依頼したら、戸締りをして、逃げるように自宅へ帰る。
人混みの中は、まるで「水の中」だ。息が苦しくて、しょうがない。
帰り着いたら、安心感のあまり腰が抜けそうになる。
脱いだ靴を放り出して、ふらふらと洗面所に向かう。手や顔を入念に洗い、声を出して うがいをする。咽頭を鍛える。
ふぅと息をついてから、僕は、鏡の中の自分を見つめる。
(よしよし。泣いてない……。強いな。よく頑張った)
うっかり声に出して、誰かに聴かれたら死ぬほど恥ずかしいけれど……僕は、具合が悪い時にこそ、あえて自分を褒めることにしている。
(叫ばなかった。倒れなかった。電車に乗れた……上出来だ)
この世に「出来て当たり前」のことなど、一つとして無いのだ。
ここ一週間ほど、起きている時間の大半は、引越しに備えて身辺整理をしている。衣類と、書籍の類は ほとんど全て箱にしまい、必要最低限の物品だけを出している。
僕には「実家」が無い。子どもの頃に使っていたような「思い出の品」は ほとんど全て、母の死後、廃棄した。「僕」に纏わる物品は、この狭い家にしかないのだ。(先生宅に置いてある着替えを除けば……。)
わずかな私物の、ほとんど全てが箱に入っていても、生活は成り立つ。退屈を感じたら部屋の掃除をすれば良いし、料理をしても良い。「執筆用」のパソコンだって、出しっぱなしだ。(【世界】を創るための大切なパソコンは、自分の手で新居に持参するつもりだ。)
必要最低限、何が手元に在れば満足なのか……僕は もう、知っている。
身の丈を無視した「高望み」は、しない。
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【27.養生】
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