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読書日記・いつまでもいつまでも

9月16日(月)

子どもたちに「敬老の日だから、おじいちゃんおばあちゃんにありがとうを伝えよう」と話す。すると息子が、

「ママもいつか、おばあちゃんって呼ばれる日が来るんだね。でもそれって、もうすぐじゃない? ママは年を取ってるもんね」

と言うので、

「ママはいつまでもいつまでも、かわいい女の子だよ♡」

と伝えたら、

「は?」

と、夫が鼻で笑った。異論は受け付けておりませんので、すみやかにお引き取りくださいね。




9月17日(火)

ガブリエル・ガルシア=マルケスの『族長の秋』は改行がなく、『百年の孤独』よりも読みにくいらしい。そんな読みにくい本を柴崎友香さんは夢中で読んだと『あらゆることは今起こる』に書いてあった。

『百年の孤独』よりも読みにくい本があるなら、『百年の孤独』を読むことは可能なのではないか?と思い立ち、『百年の孤独』を読むことにした(むだな連呼)。

聞きなれない単語も出てくるけれど、それを解明しようとせずに、とにかく読み進めよう!と決めたら、意外と読めるのでビックリした。難解だと言われている作品だから読みにくいはずだ!!と、思い込んでいただけかもしれない。

しかし似ている名前が多くて混乱はする。作中でも「名前がややこしい」と出てくるので、作者が「ややこしい」と思っているなら、読み手はより一層「ややこしい」と思うだろうな、なんてことを考えていた。

同じ名前の息子にするのではなく、ジョンとかマイケルとか、ルンルン大王とか、いろんな名前をつければよかったのにと思ったけれど、それはそれで作品の世界観が混乱するのかもしれない。名前って難しいね、ジョン(誰?)。





9月18日(水)

『世界史としての日本史』を読む。

本の内容以上に気になったのは、半藤さんの対応。自分にとって専門外と思われることについて、「知らないので教えてください」とおっしゃる半藤さんの謙虚な姿勢が印象的。

半藤さんは『令和を生きる』の中でも、池上さんに対して「教えてください」とおっしゃっていたなぁと思い出す。知ったかぶりをしてしまう私にとって、半藤さんの姿はまぶしすぎる。まぶしすぎると、どうしたってムスカが出てくるので(目がぁー!目がぁぁぁーーー!!!)、数分だけ本を閉じた(3分間待ってやる)(←え?「待ってやる」って何様???)。





9月19日(木)

久しぶりに柴崎友香さんの『よう知らんけど日記』を読む。この本は日記風エッセイらしい。柴崎さんは『あらゆることは今起こる』の中で「日記を書くのが苦手」だと書かれていたけれど、『よう知らんけど日記』は日記風エッセイだから日記とは少し違うんだなと、ひとり納得する。

柴崎さんはその日の出来事を書くのが苦手で、だから日記を続けられないと本にあった。どこに行ったとか、誰にあったとか、何をして何を食べたとか、そういうことを書くのが苦手なんだそうな。

私もその日の出来事を書くのは苦手。朝起きるところから夜寝るところまでの記録をつけることができない、というか面倒くさい。単調な毎日を過ごしているので、日々変わりのないことを延々と毎日書き続けるなんて苦行だとすら思っている。

それに、私が日記を書くとしても、

○月✕日、今日も犬がかわいい。困る。

○月✕日、今日も犬に嫌がられた。嫌がっている姿もかわいい。

○月✕日、犬がかわいすぎてトイレに行けない。もらせばいいか。

こんな感じで、犬のことしか書かない可能性が高い。これはこれで面白い日記のような気もする。どうしようかな、犬日記にしたほうがいいのかな(長考)(そして忘却)。


(ただいま)私はいまのように、その日に読んだ本のことを書いているほうが合っていると思うので、いままで通り読書日記を続けていくつもり。飽きるまではね(ここ重要。飽きたら終わりさ、あはは)。



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