読んで書いていられたらそれでいい、それがいい
レイモンド・チャンドラーは、「一日に4時間は何もしない」と決めていたという話を見かけた。
遊びに出かけたり、読書したり、あらゆることを禁じて、その4時間のうち自分に許していたのは、書くことだけだったとか。
書けないなら書けないでもいい。
無理に書かなくてもいい。
ただ、書く以外の行動をしない。
書くか、書かないか、それだけ。
意図的に何かをすれば、アイデアも生まれない。
だから何もしない時間をもうける。
創作するというのは、とてつもない精神力が必要なのではないかと、今さらながらに気づき、尊敬と驚愕が入り混じった何とも言えない複雑な気持ちが生まれた。
創作をされている方というのは、本当にすごい。すごすぎて言葉がない。
そして読んだのは『書きたい生活』。
僕のマリさんは、書かずにはいられない人。
僕のマリさんのこの「書きたい」という気持ち、とても素敵で、そして私も影響を受けてものすごく書きたい気持ちがガーッと高まっている。ので書く。
『書きたい生活』の中に、「日記は筋トレ」と書かれていて、日記大好きな私は本を読む手にグッと力が入った。
これを読んで、日記に対してそこまで深く考えたことがなかった私は、心に矢が刺さったかのような衝撃を受けた。それはとてもいい矢だった。
書くことにも練習が必要で、でもその練習には「模写」しかないんだと思ってた。あと、書いて書いて書きまくるぐらい?
僕のマリさんのように、日記を筋トレとする方法は簡単に出来そうなところに強く惹かれる。
きっと簡単にはいかないんだろう、という未来も見えてはいるけれど、やってみなければわからない。
他人の日常が好きだという僕のマリさんは、
と書いていた。
人様の日記を読むと、そこにはたしかに書いている人の視点で語られる世界があって、その世界は私とはまったく違った景色があると気づいた。
2023年3月15日を日本で過ごしていれば、見聞きする社会のニュースはそんなに変わらない。
けれどもそのニュースを通して見ている世界は、万人共通ではなくて、たとえばそれが家族だったとしても、まったく違った景色を見ていたりするので面白い。
以前ならその面白さを実感できなくて、人様の意見を良いか悪いかで判断していた。
けれど最近は、意見の違いを面白いと感じられるようになっていて、これは本をたくさん読んだ結果だろうなと思ったりする。
本を読むと、著者によって色んな意見があるし、その意見が正しいとか間違ってるとか判断できないものばかりで、そもそも正答がある問題なんて本当に少ないんだということにも気づく。
たいていは答えがないもんね。
良いとか悪いとかで判断できるものなんてなくて、好きか嫌いかで物事を決めつけているんじゃないかと気づいてみると、たしかに自分の勝手な見方でしか世界を見ていなかったなと気づく。
そういう自分勝手に気づけるようになって、本当に良かった。
これも本を読んでいたおかげだな、そして文章を書いて本にしてくれている人たちのおかげだな、と思った。
ありがとうございます、いつもお世話になっています。
僕のマリさんに刺激され、書きたい気持ちをグワーッと書きなぐったけど、この書きたい気持ちは、生きるうえで私も必要だなと思う。
書くことで生かされている。
私も、本を読んで書いていられたら、それでいい、それが何よりいいなと思った。