自分の当たり前は自分だけのもの
2022年7月14日(木)
久しぶりに息子と図書館へと出かけた。ここのところ何度も読み返している『親が「これ」をするだけで、子どもの学力は上がる!』の影響で、子どもと一緒に図書館や本屋さんへ行くのが良い!本に触れる機会を増やそう!みたいなことが書いてあったから、図書館へと出向いたのだった。これで本を読むようになってくれたらな~という、よこしまな思いを胸に秘めた母を察知したのか、滞在時間は30分もなかったけど、それはそれで良しとした。
息子は図鑑を手に取り、しばらく椅子に座って読んでいた。たとえそれが10分であっても、今まで本に触れる機会がまったくなかった彼にしてみれば、青天の霹靂のようなもので(大げさ)、なんだかとても嬉しかった。私が。親だけが満足した一日だった。
そんな今日の読書は『傘のさし方がわからない』。
今の私に岸田奈美さんブームが来ていて、『もうあかんわ日記』を読了したので、すぐに『傘のさし方がわからない』を読み始めた。相変わらず良い。
『傘のさし方がわからない』の序盤で、奈美さんのお母さんは車椅子になり、傘のさし方がわからなくなったという話がある。手でバランスを取りながら傘をさすのは難しいらしい。これを読んで、いかに自分が何も考えずに日々を過ごしているのかを痛感した。
初めて傘をさした頃なんて、フラフラと傘を支えていたはずであり、何度も何度も雨に濡れながら、どうにかこうにか上手に傘をさせるようになったはずなのに、そういったこともまるで無かったかのように今を過ごしている。
親になり、子どもに傘のさし方を教えることになった時、口で説明するのは難しいし、子どもなりのバランスの取り方を私自身が忘れているせいもあって、息子と二人で傘をさしながら、雨に濡れたこともあったなぁと思い出す。
センチメンタルな気分になりながらも、一向に傘のさし方がうまくならない私と息子には、どうにも傘をさす練習が必要で、当たり前の道具が誰にとっても便利ではないもんね、と思ったりしていた。
そういえば奈美さんが『もうあかんわ日記』で、誰かの便利は誰かの不便だと書いていて、そういった物事の側面を見ることが出来るのは、障害をもつ家族が居る奈美さんだからこそなのかな、と思いつつ、しかし我が家にも障害児はいて、でも私はそういった側面にあまり気づかずにのほほんと暮らしている。「物事を違う角度から見る」というのは、訓練しないと出来るようにはならないのかもしれない。そうでもないかもしれない。
私は物事を深く考えすぎて、自分がしんどくなるくせがあり、だからこそ物事をあまり見ないように過ごしてみたら少しはラクになるかな?と思って生きているのだけど、その見ないようにするという行為によって、見えなくしているもの、気づいたほうがいいのに気づかないもの、そういったものまで含まれているようで、ちょっとこれはよろしくないかも、と気づいた。
ただ「見たいものだけ見る」というのは、自分の解釈次第でどうとでもなりそうで、人は自分の都合のいい解釈をする生き物だし、だったらその解釈を良い方へと向けたら良いのでは??といったようなことを考えて、結局私は何をどうしたかったのか、よく分からなくって気づいたら寝ていた。
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