孤独と『一橋桐子(76)の犯罪日記』
「家族と暮らしている人のほうが孤独になりやすい」
という話を聞いた。
たとえば、両親は仕事ばかりで家にいないとか、母親が兄ばかり可愛がるなんて場合にも、孤独は感じやすいらしい。
一緒に暮らす家族がいても、その家族が自分に興味がないと感じてしまったら(たとえそれが事実じゃないとしても)、そりゃ悲しくて淋しいはず。
家族と暮らすほかに、学校などでも孤独を感じやすいらしい。
たとえば、クラスメイトたちが仲間内でワイワイしているのに、自分は友達がいないなんて場合もしかり。
これは職場でも同じかもしれない。
そして「老後」も、孤独を抱きやすいものではないかと思う。
そんなことを『一橋桐子(76)の犯罪日記』を読みながら考えていた。
一度も結婚しないまま、両親の介護に追われて気づけば76歳になった桐子。夫を亡くしたばかり親友トモと一緒に暮らすことになり、ようやく楽しい人生を歩み始めたと思っていた。しかしトモは亡くなってしまい、未来に絶望を感じた桐子は、犯罪をおかして刑務所に入りたいと思うようになる。
桐子さんは、人に迷惑をかけないように生きたいと願っていて、だから刑務所に入るにしても、誰にも迷惑をかけない犯罪が良いと思っている。そしてできればとても重い罪であってほしい(さっさと刑期を終えて出てこれないようにしたいので)と考えている。
誰にも迷惑をかけないように生きる。それは大きなテーマとなって、特に日本人の肩にどっしりと備わっているものに思えるけれど、しかしきっと多くの人が、迷惑をかけないで生きるなんて無理難題だということに気づいているはず。
けれど迷惑をかけないで生きようと思うことは、とても勇気のいることになってしまっているため、迷惑をかけないようにと日々を我慢して過ごしているのではないだろうか? なんてことを思った。
ところで、自分の考えている「迷惑」は、本当に誰にとっても「迷惑」なものなのだろうか。どうしてそんなことを気にするの? と思うような「遠慮」が、そこにはないだろうか。その「遠慮」は本当に必要なのだろうか。
他者との適切な距離は必要だとしても、自分が作り出した距離は大きすぎはしないだろうか。他者を遠ざけているだけなのではないだろうか。
原田ひ香さんの本を読んで、「孤独」と感じてしまう要因はさまざまであっても、それを作り出しているのはもしかしたら、自分自身なのかもしれないと気づいた。
そして『一橋桐子(76)の犯罪日記』では、世の中に蔓延しているいろいろな犯罪が紹介されていて、こちらも非常に興味深いものだった。中でも、詐欺の手口については思うところがあり・・。
こうして文章で読むと明確な犯行に思える詐欺も、実際に被害にあうと、犯行にまったく気づかないということはよくあるんだろうなと思った。一応、私自身も詐欺の被害者だった過去があるけれど、あの頃の自分がなぜこんなにあっさりと騙されていたのか、いまとなっては謎すぎてよくわからない。
それにしても原田ひ香さんの本って、本当に面白い!! ついつい一気読みしちゃうので夜更かし必須なのだけど、夜更かしして肌がボロボロになってもぜんぜん悔いがない。むしろもっともっと読みたくてたまらない気持ちになる。不思議。これからも原田さんの未読本を読んでいこう。
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