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【読書日記】プレッシャーはいつもそこにあるけれど

【7月13日(火)】
この日記は「前日の話を書く」ことが前提になっていて、なので昨日のことを思い出しながら、昨日読んだ本のことを書いているのだけれども。しかし毎度毎度、この日付は必要なのか?という思いが、自分の中にずっとあって。

そんな時に、柴崎友香さんの『よう知らんけど日記』を開いたら、
「1月☆日」
といった具合に、日付を明記していない!!これは素敵な方法なのではないだろうか?と一人喜ぶ。

なぜ日付が明記されていないのかというと、

子供の頃から、日記を続けて書けたことが1回もないです。(中略)
それで、プレッシャーを和らげるためにこの日記は「☆日」にしています。

と、本には書いてあった。

日付があると、どうしても書いていない日が分かってしまうので、書けなかった自分に落ち込んだりもします。しかし日付が明確になっていないなら、その日記はいつ書かれたものか、いつの話なのか、といったこともあいまいになり、それってかなり自由度が上がるのでは!?

だったら最初から「日記」という名目を取ってしまえばいいのではないか。そんな思いもありつつ。しかし私は読書記録のような形で、この【読書日記】をスタートさせているしなぁ。そんな思いで揺れる乙女心(は、もう30年前ぐらいに置いてきたけど)。

この【読書日記】を書けない日が続くようなら、私も「☆日」をマネっこさせてもらう。そう決意してみると、途端に気持ちが和らいだ。なんだ、私は「毎日書かなくちゃ」というプレッシャーに負けそうだっただけなのか。

軽い気持ちでスタートさせたものだったとしても、続けていくという決意はプレッシャーにもなって。でもそういった思いも含めて、この【読書日記】は今の自分に無くてはならない存在でもある。

こうして思いをつらつらと書いているだけ、読んだ本の話をダラダラとしているだけであっても、それが自分の中の何かを軽くしてくれて、前を向くことが出来て、そして書きたい欲がどんどん高まっていって、それがもう何だか全て楽しい。

読まれることを前提とした文章というのは、自分の思いが嘘偽りなく表に出ているか自信はない。少し格好つけたり、少し装飾している部分だってあるはず。でもそれも含めて、「文章を書く」というのは面白くて、やっぱり大好きだなと改めて思う。

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