読書日記・終わりのような錯覚まである
9月7日(土)
小林早代子さんの『たぶん私たち一生最強』を読み始めた。20代の悩みと楽しさが入り混じった小説で、読んでいると不思議なパワーをもらえて面白い。
生きることに悩みはつきないけれど、友だちがいるから救われるし、友だちがいるからこその嫉妬もある。友だちと比べて、自分はこのままでいいんだろうかと悩んだりもしてしまう。
でも、一緒にいればやっぱり最高に楽しいのが友だちで、そんな4人の友情をうらやましく思いながら、しかし、おばさんにはこのパワフルさがまぶしすぎて目がくらみそうだわ~なんて思ったりしながら本を読んでおりました。
しかし女性というのは、何歳であっても同じことで悩むんだなぁとしみじみしてしまう。時代とともに選択肢は増えたように思えるけれど、結局のところ行き着く先は同じ悩みというのが興味深い(ネタバレしないようにと、奥歯に物がはさまったかのような感想文)。
9月8日(日)
子どもたちに教えるためにと、小学校高学年の算数を勉強し直しているんだけど、こんなに難しいことをやっていたの??と、驚くことばかり。
自分が小学生のころに勉強していた内容は覚えておらず、けれど勉強し直していくうちに、そうそう、こんなのあったなぁと思うこともあり。しかし正解を導き出すまでの時間は以前より増しているのでありました。
勉強し直して、ようやく内容を理解したと思ってみても、それを子どもたちに教えるとなると話は変わってくる。
自分が理解したことを、相手に分かりやすく伝えるなんて難儀なことを、親は確実に求められているんだけれども、これがまたとんでもなく難しいのです。
先生は本当にすごいね。子どもたちにわかるように説明して教えてくれるんだもの。先生はすごい。先生、ついでに私にも勉強を教えてくださいませんかね?アラフォーなので素直さのかけらもありませんが、やる気だけは今のところあります!やる気が継続する自信はありませんが、どうぞよろしくお願いします!
9月9日(月)
ロッコさんの『「当たり前」を手放したら、人生が豊かになった フランスでやめた100のこと』を読む。
自分にとっての当たり前は、日本で暮らしているからこその当たり前なんだなと、ロッコさんのフランスでの暮らしを通して痛感した。
たとえば年齢。本にも書かれていたけれど「日本では若さに価値がある」と思われている。「老害」なんて言葉があるように、年を取ったら終わりのような錯覚まである。
でもフランスでは、年齢を重ねることで魅力が増すという考えらしく、そこがとてもよかった。
ただ年齢を重ねても魅力は増したりしないようで、知識を得ること、感性を磨くことなど、自ら学ぶ姿勢を持ち、実行することで魅力が増すんだそうな。
わかりやすい若さや美しさではなく、磨かれた知性が必要なのだ。神よ、私にもあふれる魅力をさずけたまえ!(めちゃくちゃ他力本願)
9月10日(火)
岸見一郎さんの『悩める時の百冊百話』を読んでいたら、茨木のり子さんの「倚りかからず」が紹介されていて、本以上に茨木さんの詩が気になってしまった。
こういう詩にふれると、自分がいかにボケーッと生きてきたかを思い知る。もっと自発的に生きていこう。とりあえず、椅子の背もたれに倚りかかりながら(動く気なし)。