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混沌日記・可能性はゼロじゃない

9月30日(月)

蟹の親子さんがオススメの日記本を紹介されていたので、ananを購入。読みたい本がまた増えた。





10月1日(火)




10月2日(水)

ananに紹介されていた、長島有里枝さんの『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』を読み始めた。長島さんの視点で語られる、お母さんへの思いが綴られている日記。

長島さんのお母さんがけっこう自由な人で気になる。お母さんなりの理由があっての行動なんだろうけれど、だからといって、娘との約束の日時を自分の都合(歯医者に行きたくなったとか)で簡単に変えてしまうのはどうなんだろうか。

家族だからこそ、何をしても許されるだろうという甘えが発生することはあるだろうけれど、許してもらえるだろうと思うことと、許されることは別だよなぁと思ったりした。私も気をつけよう。





10月3日(木)

何かしらの鬱憤がたまっていたようで、夫に泣きながら愚痴をこぼす。すると話を聞いていたはずの夫がなぜか号泣し始め、その号泣している姿が私的に大変面白くて大爆笑してしまう。とんでもねえ状況。




10月4日(金)

昨夜泣いたら(途中から爆笑してたけど)ちょっとすっきりした。しかし色々と限界のようなので、その旨を各所に伝えまくる。

無理をしているつもりはないのに、無理しないようにねと気遣ってもらいいたたまれない。無理しているわけじゃなくて、無理したくないよーという甘えた気持ちがあっただけの私に、周囲は優しくしてくれる。ありがたい。とんだ甘えん坊さんですみません。




10月5日(土)

自分の思いを正直に吐き出したおかげで、よし!がんばるぞ!という気持ちがわいている。いままで嫌がっていたことも、自分から進んでできるようになっていて、私は、誰かに気遣ってもらいたかっただけなんだなと気づいた。たまには甘えてみるのも悪くないのかもしれないね。




10月6日(日)

本がまったく読めていない。毎晩寝る前に1~2時間ぐらいを読書時間にしているのだけど、最近はすぐに眠くなるので本を開くことさえままならない。まぁいいさ、本は読めるようになった時に読めばいいと思うものの、しかしこの日記は本来「読書日記」なので、読んだ本の話をしなければ日記が成り立たない。さてどうしたものか。




10月7日(月)

わたしが家族を題材にするのは、家族は美しいものという幻想を強化したいからじゃなく、その逆だからだ。 家の中で起きた出来事はわたしが語らない限り、なかったこととしてわたしと一緒に死んでいく。誰にも伝わらなければ、誰もそこから学ばない。そしていつか、どこかの女の子に同じことが起こる。そのとき、彼女の悲しみがわたしの責任じゃないと、胸を張って言えるだろうか。

『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』より引用


この使命感のような感情に心が揺さぶられる。こんな風に考えたことはなかった。でも言われてみればたしかに、私は様々な人たちが書いてくれた文章を読み、自分と同じように迷う人、辛かった人、淋しかった人がいることを知って救われたと思ったことがたくさんある。

こんなことを書いても意味がないかもしれないと、書いた本人が思っていることでも、それに救われる人がいる可能性はゼロじゃない。「同じような人がいてよかった!!」と共感されたり、「こんな風にはなりたくない」と反面教師にされることだってあるだろうけれど、そうやって誰かの心に刺さる可能性はいつだってどこにだってあるんだ。

そんな風に壮大に考えてしまうと、何を書けばいいのか悩むようになるので、ここでやめておこう。私は私の書きたいことを書く。書かなくてもいいかな?と思うことでも書く。以上。解散!



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