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種は育てるものだったのか

2023年こそ毎日noteを更新しようと決意していた、2022年12月31日までは。
2023年になって10日も過ぎたけれど、noteを更新できたのは2回だけだった。
決意が消えるまでの時間はとてもはやかった。

そもそも文章はネタとなる種を見つけて、その種を様々な角度から観察して育てる必要がある、といったnoteを年明けに読んだ。
有料noteなので引用できないのが残念。

「種を育てる」という感覚を私は持ち合わせておらず、種が見つかったらすぐにでも出荷(発信)しようとしていて、育てるために観察して待つということをずっとしたことがなかった。
ネタさえ見つければ、あとはどうにでもなるという見切り発車でいままでやってきたし、それに対して疑問を抱いたこともなかった。

しかし考えてみると、noteを更新してしまったあとで後悔することが結構あって。
記事の内容をもっと膨らませたら面白い内容になっていたかも、という自分の勝手な期待でしかないのだけど、その後悔に気づいてみると、やはりネタを見つけても時間をおいて内容を吟味したほうがいいのかもしれないな、なんてことを考えていた。

ただ私の場合、ネタとなる種を見つけたとしても、その種を育てるという名目で種の存在を忘れ腐らせてしまう可能性のほうが高いため、育てることが果たして本当にできるのかは謎。

でもnoteの更新については、ぼちぼちとマイペースが良さそうとは思う。
毎日更新しなければいけないというプレッシャーもしんどいけれど、かといって「月に1回更新できたらいいや」なんて考えていると、更新すること自体を忘れてしまいそう。
自分のペース配分を見つけることも、2023年の目標かもしれない。

そんな最近の読書は『火の鳥』

物語が壮大につながりを持っているので、読み進めていくだけでため息がこぼれる。
あの話がここでつながるのか!と、何度も思わされてもう本当に手塚治虫氏は天才なんだな、と改めて当たり前のことを思ったりした。

このマンガの感想を書こうと思った自分へ。
そんな無理なことするもんじゃないよ。
手塚治虫さんの本の感想を書くなんて、そんな大それたことできやしないよ。
だって天才だもの、天才に対して「天才」以外の言葉がみつかりゃしないよ。
自分の語彙力で「天才」は語れないよ。
諦めな。


そういえば、
人は誰でも好きな時代があるはずで、読みたい本がわからないときは、自分が好きな時代に関連した本を読むといい。
そんな話を林真理子さんが『成熟スイッチ』に書かれていたけれど、誰でも好きな時代があるなんて考えたこともなかったのでビックリした。

そもそも何時代に何があったとか、そういう歴史にいっさい興味がなくて、テスト勉強では非常に苦労した覚えしかない。
そして当時覚えたことを、いまは何ひとつ覚えいない。
あの頃の苦労っていったい・・。

とても歴史にうとい私は、『火の鳥』で歴史の勉強をし直しているのかもしれないと、この記事を書きながら思った。
たとえフィクションであっても、そこから学べることはたくさんあるはずだもの。
そんな自分に都合の良い解釈をしながら、今日も楽しくマンガを読んでいる。幸せ。読み終わりたくない。

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