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「私はブスだ」というしがらみと私たちはどう向き合うのか


「自分の容姿に自信がない」

このコンプレックスを抱えている人間は、特に社会的に女性として生きている人間には少なくないと思う(知らないけど)。
少なくとも、私をはじめ私の周囲には大勢いる。

私自身、容姿すべてにとても自信がなかった時期があったが、
いまは昔よりはだいぶ認知のゆがみが克服できていると思えている。

少なくとも、大学生のときにあったような、
「女子力」のようなもの(服装のセンスや化粧のうまさ)への不安感や、
家を出る直前に化粧が気に食わなくなり泣き崩れる、といったことはしばらく経験していない。

当時は本気で自分が醜形恐怖症名のではないか、と思ったこともあるが
そのころよりは大分ましになった。

私の周囲にはとっても素敵な人なのに、
なぜか自分の容姿に対して過度に自身のない女性が大勢いる。
彼女らがそうなる原因には、社会にはびこるコンプレックス商法(ダイエット商品やエステ、脱毛など 不安感をあおる美容商法)や、女性は美しくあれという性規範、また過去に男性から勝手に評価され傷ついた経験などさまざまだと思うのだが、取り急ぎ今日はその克服の指向のプロセスを言語化してみようかなと思う。


ステップ1
なぜ自分をブスだと思うのか、その場合の評価者が誰か、を考える


「ブス」というのは容姿を評価する言葉だ。
しかしながら、容姿の価値というのはひとつの物差しで決まっておらず
なにがしかの基準によって判断されるものである。
自分をブスだと思う場合、必ずそれには誰かの目が入っている。
誰の、どんな目線で自分をブスと評価しているのか、まずはその評価者を考える。

ステップ2
なぜその評価基準で自分自身を評価しているのかを考える


なぜ自分がその評価基準を大切にしているのか、はたしてそれは大切にしなければならないのか、を考える。
例えば雑誌に載っているモデルのような顔立ちでない、ということは、自分をブスと評価するのに十分な考え方なのかを検討する。
それが譲れないものなのであれば、あなたには必要な考え方だと思うし、それがなんとなくとらわれている価値観なのであれば、あなたにとってしがらみなのだと思う。

ステップ3
自分が目指す姿について考える 
そしてその達成可否を検討し、
場合によっては、それを意識して捨てる 

自分を「ブス」だと思うこと、それはなんらかのコンプレックスが原因であると断言してもいい。
例えば、その原因が、目が一重だから。というものだとしよう。
自分自身が、「私は美人だ」と思えるようになるラインが「目が二重になること」と明確なのであればそれに向けて工夫をすればいい。その努力は悪いものではなく、人によってはむしろ必要なものなのだと思う。

一方で、そのゴールに到達してもまた別のものを求めてしまうのであれば、一度自分自身の価値観や認知を問い直した方がいいと思う。

簡単に変えられない部分のコンプレックスを抱えている場合、意識して自分のなかの「~でなければならない」という意識を捨てることが必要だ。そのまま自分自身を否定し続けて生きるのはあまりにつらい。

価値観をかえるために必要なのは、圧倒的に知識と情報だ。
繰り返しになるが、なぜ自分はそれにとらわれていて、それは本当に必要なものなのか、を確認した方がいい。

例えば、なぜ私は二重がかわいいと思っていて、二重にならねばならないのか、を考える。一重まぶたでも綺麗に活躍しているモデルさんはたくさんいる。ぱっちりした目が得意ではない、という好みの人間もいる。
そういった人間を知る、出会うことで、「あれ、自分は誰のどんな価値観にとらわれていたんだろう?」とある日気づくこともあるかもしれない。

おわりに

繰り返しになるが、美醜の問題は、一人ひとりの物差しのお話だ。
そして、多くの場合自分のなかの「美人像」は実はとっても限られたサンプルと世の中の作り出した「常識」に左右されていることが多い。

また、そんななかで「モテ」や「異性(性的指向の対象)からの評価」という言説が構築されていることも多くある。

ステップ1の評価者が「自分の恋愛対象」や「不特定多数の他者」であったとき、その正解は存在しないと思った方がいい。
「かわいい」「綺麗」「美人」という観点はある文化内の社会通年としてはあるかもしれないが、個人の恋愛感情に基づく容姿の好みはとても多様であり、他者から恋愛的に好かれるといったことには、見た目のみ が重要でないことが多い(見た目が全く重要ではない、といった意味ではない)。

そう思えたら楽でしょうね!と思う人間がほとんどだと思うのですが、とにかく自分のなかの固定観念の分解と、果たして本当に私はその固定観念にとらわれる必要があるのか?ということを考えると、少ししがらみが減らせるかもしれない。
少なくとも私自身は、世の中にいろんな容姿の人間も、好みの人間もいる、ということを実感してからは、以前より写真を撮られることが苦ではなくなったし、自分を着飾らなければ、という過度な強迫観念から解放された。

まあ、そんなことしなくても社会の側がもっと個人が自己肯定できるようなメッセージを発信くれればいいんだけれども。
なかなかその道のりは長そうなので、個々人で、悲しいしがらみからは脱却して自分は素敵な人間!と思えるようになったらいいなと思っている。

最後にひとこと、
「素敵」も「きれい」も誰かと比較して成り立つものじゃなく自分の物差しできめていいものだから、人と比較しないでよいのですよ。
間違っても、「ちょうどいいブス」になんてならなくていい。絶対。

たぶんこういうしがらみにとらわれている人はたいていすでに真面目過ぎる素敵な人です。
他者からの評価なんて気にしないでみんな胸張っていきていこ~~~~

以上。志賀らみでした。

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