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小説版『スパイの妻』を読んでみた

オンラインでドラマを見続ける生活をしていたら「高橋一生出演作にハズレなしか?」という問いが頭の中に常駐するようになっている。面白かった作品の大半に出てるのがナゾすぎる。本屋さんに入ったら、信じられないことにここでも彼を発見した。第77回ヴェネチア国際映画祭・銀獅子賞(監督賞)受賞の小説版らしい。これは買うしかない。

主人公は、太平洋戦争が間近に迫った時代の神戸で貿易商を営む、福原優作の妻・聡子だ。聡子は、商談先の満州から帰国した優作の様子がおかしいことに気付き、満洲で夫に何が起こったのかを探り始める。自分の信念を貫こうとする夫と、周囲にスパイと疑われる夫を信じて行動する妻とを描いたサスペンス。

面白くてやめられなくなり、あっという間に読んでしまった。人物としては聡子があまりに素直でキレイすぎるなと感じてしまうところもあるけど、戦争が始まる前の鬱屈とした空気と緊張感の高まりに、物語の始まりからずっと、どんなラストが待っているかドキドキした。

1940年から1945年の出来事が中心だが、知らないというか、ちゃんと自分が想像できてないことがたくさんあった。満洲の街並みや、当時のビジネス、映画や服装品、友人や親類関係でも疑心暗鬼に追い込まれる状況、あとは時間の流れだ。

私は、戦時中というのを区切られた特定の期間のようにイメージしているところがある。歴史の教科書の見た目で、前のページをめくると突然現れる暗黒の数年間だ。そんな異質なページがなぜ急に挟み込まれるに至ったのか、あまりピンとこない。

でも、この小説に書かれた6年間を読むだけでも、自分のイメージにはギャップがあったなと分かる。変化は一気には訪れない。何かのきっかけでじわじわ行動に制限がかかり、普通の生活がなくなり、気が付いたら追い詰められている。6年間というと、例えば中学生だった子供が高校を卒業し、大学生や社会人になっているくらいの時間だ。忙しい日々の中では、底流のゆっくりした流れには、なかなか気付かないのかもしれない。

その年の雰囲気は、聡子の着る物とそれを見る周囲の目で詳しく書かれているが、その変化で、カラフルだった生活が数年をかけて少しずつ奪われていくのがよく分かる。他人にとやかく言われずに好きな服を着られるというのは、自由の象徴なんだな。

物語の最初と最後に、2020年夏の章がある。出てくる子供たちは、戦争を経験した世代から、もう4世代目まで世代交代していた。私は、祖父母が戦争体験者だったから、3世代目だ。

私は、おそらく30代のど真ん中に戦争を体験したはずの祖母と、長い間一緒に住んでいた。でも、戦時中の話はほとんど聞けなかった。小学生の夏休みには戦争体験者の話を聞くという宿題があり、毎年いちおう聞いてみてはいたけど、「今の子には、話しても分かるはずがない」としか言われなかった。結局、私は40歳を過ぎても何も分かっていないままだ。

ただ、1度だけ微妙な記憶がある。たしか私が小学2年生くらい、昭和が終わる直前で、毎日テレビのニュースで、宮内庁からの情報というのが続いていた。子供だったから意味がよく分からないし、他のテレビが見たいというつもりで、祖母に「こんなのばっかり面白くないし、もう見たくない」と言った。その瞬間、祖母は顔を赤くして「そんなこと口に出してはいけない!家の外だったら、憲兵に連れて行かれるよ!」と怒鳴られた。ビックリして、え?っと聞き返したら、祖母の顔からはすぅっと血の気がひき、ボーッとした表情で無言になった。当時80歳前後で、少し記憶や言う事がチグハグになってきていた。子供ながらに、また昔のことを思い出して言っているんだなと分かったけど、あれが唯一、祖母から聞けた戦時中の日常だった。

せっかく春だというのに、最近また外出自粛っぽい雰囲気で、これはいつまで続くんだろうと憂鬱になる。春物の服は、買っても着て出かけるところがない。でも、自分で好きなドラマをセレクトして観られる状況は、そこそこ幸せだ。ということは、結局、高橋一生をよく見かける生活が幸せということなのか・・。



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