自分の目で見たものを信用してはいけない その1
ふと思ったことなのだが、絶対にあるあるだと思うのでここは是非とも論じておきたい。
それは自分の目を過信してはいけないということだ。
当たり前だが、人間はものを見るときに、『目』で見ていると思っているが、実際には『目』でものを見ているというよりは『脳』でものを見ているという方がより近い。
よくある「錯視」などというものはそれをまさに実証している。
二つの線分の内どちらの方が長くみえますか?
・・・というやつだ。
実際には左右についている矢羽根が広がっているか、閉じているかだけの問題で中心の線分の長さは同じである。
しかし、人間の脳は先が広がっている矢羽根を持つ、下の図形の方が長いと錯覚する。
これは「ミュラー・リヤー錯視」というものだが、この他にも「錯視」は実に数多く見つかっている。
そのうちの一つが「エビングハウス錯視」
真ん中の〇は実は左右同じ大きさなのだが、周囲により大きな〇があると小さく見え、周囲に小さな〇があると大きく見えるというもの。
言い換えればこういうことになる。
周囲が大きければ小さいものは実物より小さく見え、周囲が小さければ大きいものは実物より大きく見える。
そのものの真実の大きさより、周囲との対比がそのものの大きさを決めるのだ。
さて、ここからが本題。
人が人の姿を見たときに、どのように見えるかというのは過分に、その見る本人の偏見が混じっている。
先日仕事先の同僚に「また最近、随分やせたよね?」と尋ねたら、「ダイエットしたから」と答えた。もともと細い人である。
もともと細いのになんでまたダイエットしたのかと尋ねたら、何でも義理の姉に「デブ」と言われたからだとか。
それはもう驚いた。細い人を「デブ」と罵るくらいなのだから、本人はいかほど痩せているのか?と聞いたら、「とんでもない、すごいデブだよ」・・・とのこと。
他人の話なので、実際どういう状況なのか私には想像も出来ないし、事実がどうなのかも分からない話だが、もしそれが真実だとして、実際に自分が太っていたとして、自分よりも明らかに痩せている人間を「デブ」と罵る心理というものは一体どういうものなのか?・・・と想像してみた。
自分のことをよほど客観視出来ていないのか、はたまた、他人を罵る言葉の語彙が著しく不足しているのか?(ケンカをするときに「デブ」と「ブス」という言葉しか出てこない幼児のように)
いや、果たして、本当にそう見えているのだとしたらどうだろう?
そういえば私にも思い当たる節がある。
実は・・・前々から思っていたのだが、うちの母は昔から私を「デブ」扱いする。
もちろん痩せてはいない。しかし「デブ」扱いされる筋合いもない。
身長と体重のバランスで言えば完全な「標準」体型だからだ。BMIなどの計算で言えばそんな完全な「標準」体型で、かつ太って見えると言われる「むくみ」などもない状態で「デブ」扱いされるのははなはだ腑に落ちない。
母が極端に痩せていて、自分に比べて「デブ」だというのならまだ話は分かるが、そうではない。母もまた同じ「標準」体型なのだから。
どうにもこの母親とは気が合わないと思っていたが、最近ふと思うことがある。
それは「本当にそうみえるのだとしたら?」ということだ。
因みに夫は私が一番太っているときでも「デブ」扱いはしない、「ちっちゃい」扱いはするが・・・
よく、男性はそれほど女性が太っているかどうかを気にしない・・・と言われるが、どうだろう?「本当に太ってみえていないとしたら?」
自分が自分自身の姿を鏡に映してみるときに、鏡に映る姿と同じものを他人が見ているわけではない。まあ、鏡の場合は左右が反転しているとか、そういう問題はあるが、それはここでは置いておこう。
洋服屋の鏡と自分の家の鏡では映り方が違う。
洋服屋の鏡の方が痩せて見えるとか太って見えるとか、鏡に細工がしてあるとも言われるが基本的には都市伝説のようなもので、実際には鏡の角度や照明の仕方で見え方が異なるだけ。
そして見え方としてもっとも決定的なのはむしろ距離の方である。
遠目で見れば全体のバランスがとれて客観的に見えるのに対して、近くで見ると粗が目立つ。近くで鏡を見るとちょっとした角度の違いでも見え方が大きく変わってしまう。
一般的には肌荒れやしわがよく見えて、お腹のポッコリ具合も太もものパンパン具合もよく分かる。そう。まさに粗がよく見えるのだ。
近い距離で鏡をみてどれほど醜く見えようが本来はあまり気にすることではない。通常他人が他人を見る場合、至近距離で見るということはほとんどない。ある程度離れた距離で相手を見る。部分部分をクローズアップしたりしない。全体をみるのだ。
粗が見えるほど至近距離で相手を見るのは、そう、他人ではない。自分自身と、自分の身内くらい。
至近距離で鏡を見つめて、じっと自分のお腹周りや太もも回りを見分すれば、お腹のたるみも太もものセルライトもよく見えるというものだ。
しかし安心していい。そんなものは他人からはよく見えない。
3Dモデルで見え方を比べてみた。
標準体型のモデル。
遠目で全身を見た場合。全体のバランスがよく見える。太ってもいないし痩せてもいない。
人間は人間の体のバランスを図る場合、頭の大きさを基準にして相手を計る。8頭身美人とか言うように、頭の大きさを基準にしてその人の体型を計りスタイルがいいとか悪いとかいうのだ。
このモデルの場合(肩幅を除いて)一番横に太いお尻からふとももの部分で頭の1.5倍というところだろうか?
一方比較的近くで背の高い人が背の低い人を見降ろした場合。(比較のためにかなり極端に見降ろしています)
目線から一番近くにある頭が一番大きく見える為、それ以外は細く見える。一番太い、太ももの部分で頭の1.3倍くらいだろうか?
4頭身くらいに見えるので、ものすごくちっちゃい子供のように見える。しかし太いとは感じない。足が細く見えるからかもしれない。
こちらは比較的近くで背の低い人が見上げた場合。(子供なんかだとこんな風に見えるんでしょうね。まあ、大人の場合はここまでではないですが、比較のために極端にしています)
目線から一番遠い頭が一番小さく見える為、10頭身くらいに見えるが、一番太い太もものあたりは頭の2倍くらいあり、正直巨大でガタイのいい太った人に見える。足なんか象みたい。
どうだろう?
同じモデルでも、見降ろした場合と見上げた場合では受ける体の印象が全く違う。
見降ろした場合は華奢に見えて、見上げた場合はいかつく見える。
つまり・・・本当にそう見えるということなのではないだろうか?
例えば私の母親なんかだと、かなり背が低い。つまり、母親は身内なので、すぐ隣で私をみて、そして見上げているのだ。
だから本当に私が「デブ」に見える。(因みに夫は近くにいて私を見降ろしている。ちっちゃいがデブには見えない。世の男性も付き合っている女性を近くで見降ろしている場合、太っているかどうかはあまりよく分からないものなのかもしれない)
先に挙げた仕事の同僚の場合、彼女はかなり背が高い。義理の姉というのがどのくらいの身長なのかはわからないが、標準身長の場合見上げる形になるだろう。そして身内なので赤の他人よりはずっと近くで見上げることになる。だから本当に「デブ」に見えるのかもしれない。
まあ、人間のことなので他にも様々なフィルターがかかっているだろう。
思い込み補正とか好き嫌いとか。
しかし、実際にそう見えてしまう問題もあるとしたら?
・・・だとしたら、「まあ、そう見えるんだから仕方ないな・・・」と、理不尽な身内の言動も多少は許せる気はしないだろうか?
お互いの見る視点が違えば見える世界も違うのだ。
ああ、肝心なことを一つ。
前振りで上げたのは「錯視」の話で、本文で書いた「見え方」の話は遠近法とかの話になるので全く違う話だった。
改めてお詫びをするけれども、敢えて訂正はしないでおこう。
いずれも我々の目で見る物の感じ方が如何にいい加減かということを言いたいがために書いたものなのだから。
その2に続く・・・(日程は未定)
この記事が参加している募集
サポートよろしくお願いします! ソフトウェア代金としてありがたく利用させていただきます。