【映画】ゴースト・トロピック Ghost tropic/バス・ドゥヴォス
タイトル:ゴースト・トロピック Ghost tropic 2019年
監督:バス・ドゥヴォス
誰しも終電を逃して夜を彷徨うような経験はあると思う。家から数キロであれば歩いて帰るだろうし、遠ければネカフェやカラオケで朝まで過ごすなんて事もあるだろう。午前を過ぎた街の雰囲気は、人気がなくそれまでの賑わいとはかけ離れた姿を現す。昼間とは違う夜中に働く人々の生活は、そういう場に居合わせないと出会うこともない。延々と歩き続ける主人公ハディージャの姿を見ていると、日常の中のちょっとしたアクシデントを思い起こさせる。
本作を観て、先日観た「Here」で気付かなかったのが、移民1世と2世の世界の見え方の違いだった。「Here」でいえば移民1世にあたるシュテファンと、移民2世のシュシュの社会的立場の違い。「ゴースト・トロピック」では移民1世のハディージャと移民2世の娘の関係にあたる。祖国と移民先の狭間に立たされる1世に対して、ネイティブとして生きる2世の距離感は、この二作で大きなポイントとなっている。この間観た「葬送のカーネーション」でも同じようなテーマが綴られていたが、その二者から見える世界の違いがまざまざと示されている。一番顕著なのが「Here」と「ゴースト・トロピック」の両作で出てきた旅行代理店のGet lostという広告が印象的だった。本作のラストでは広告通りの南国の浜辺で娘が海に駆けていくが、あの場所は身を粉にして生活のために生きる母親ハディージャ自身の願望の地であり、母を乗り越えてネイティブとして生きる娘のその先にハディージャが夢見た姿の投影でもあるように感じられた。暗闇から一変して眼前に現れる明るい南国の姿は、母ハディージャのゴースト・トロピックなのかもしれない。
予告でシャンタル・アケルマンが引用されているように、夜のあらゆる物語を羅列した「一晩中」や、母と家庭を切り取った「ジャンヌ・ディエルマン」、街を舐めるように撮影した「家からの手紙」などアケルマン作品に通ずる描写が多い。夕暮れと夜明けの長回しなども、アケルマンっぽい雰囲気がある。一方で「Here」の方はケリー・ライカートの「オールド・ジョイ」に近いオーガニックな雰囲気があると思ったら、ドゥヴォスはライカート作品からも影響を受けているという。
それにしても、ドゥヴォスの作品は柔らかく優しい雰囲気に包まれる。しかし、そこには単純な緩さがあるわけでもなく、親切心を過剰にドラマ仕立てにしている訳でもない。孤独と絶望の中にある触れ合いが、自然と柔らかな感情と起伏を生み出す。辛さに直面しているからこそ、描くことの出来る表現だと強く感じられる。
アコースティックギター一本で奏でられる音楽も、映像に寄り添っている。ウィンダムヒル辺りのアコースティックな香りに似た感触があるが、アメリカーナとも違った、不思議なバランスの音楽が鳴り響く。かといってクラシカルな音の組み立てでもない。ただ映画に寄り添った音楽としては完璧だったと思う。