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【映画】オオカミの家 La Casa Lobo/レオン&コシーニャ
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タイトル:オオカミの家 La Casa Lobo 2018年
監督:クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャ
アリ・アスターのコメントにある様に、ヤン・シュヴァンクマイエルやクエイ兄弟直径の作品だと思うし、その辺りが好きなら絶対観るべきだと思う。しかしながら、予告を観た時は正直そこまで惹かれなかった。というのもそこに映し出されたものは、シュヴァンクマイエルやクエイ兄弟の作品の美術品のように作り込まれた人形やセット、カメラワークと比べるとプリミティブな印象が強い。手ブレのように落ち着きがないカメラの荒々しさと、人形の作り込みがどうも手作り感のある感じで、推薦人のアリ・アスターの名前もどこかホラーっぽいのかなと勘繰ってしまった。
ただ実際に作品を観るとそれら荒々しさが、作品の寓話的なおどろおどろしさとマッチしている事以上に、とにかくイマジネーションに溢れた作品なのにとても驚かされた。単純に人形劇かと思いきや、室内の壁を使って縦横無尽に描かれるアニメーションが、狭い空間を広がりと奥行きを持って繰り広げられる。描かれた扉がアニメーションで開き、棚やインテリアが実際の壁とどんどんズレていく。ヤン・シュヴァンクマイエルの作品でも、ファウストの様に粘土から形が現れてくるものがあるけれど、こちらは常に何かしらから形や絵が現れては上塗りされて、目まぐるしく変化していく。部屋の元々の姿の中で、人形や絵のアニメーションが湧き上がる時、リアルな空間の生々しさと異形なアニメーションが同居した状態の異物感が残る。覆い尽くすように絵で上塗りされつつも、部屋の空気が突如現れる時、自分が生活している現実があたかも上塗りされている感覚もあってその境目が徐々に融解していく。もしこれが日本の家屋だったら、より強い既視感と非現実生が交差していくんだろうなと感じた。
オープニングで語られる様にチリのドイツ移民の村が舞台となっているが、HPを見るとこれは戦後ナチスの残党が作り上げたコロニー「コロニア・ディグニダ」の事のようである。
要するにオオカミとはナチスの残党が作り上げた閉塞的な村の人々であって、ドイツ語で語りかけるのもそういった理由なのだと思われる。南米は第二次大戦では戦火がら免れたものの、戦後の冷戦でアメリカの介入による傀儡政権の軍事化や、ナチスの残党はチリやアルゼンチンへと流れ着いた現実がある(因みにブラジル南部にもブラジル移民の集落がある)。この映画で描かれる逃亡と恐れは、カルト的な抑圧された集落の虐待のメタファーであり、かつてのピノチェト政権と軍事政権への痛烈な皮肉でもある。冒頭とラストの上辺だけの平和そうな雰囲気は、取り繕ったドイツ移民の姿と、それを受け入れてしまったチリの人々の姿が表現されている。
南米という事もあってマジックリアリズムの影響も少なからずあるとは思うが、それよりもシュヴァンクマイエルやクエイ兄弟らのシュールレアリズムの手法の方が影響としては強いと感じる。併映された短編「骨」の方が南米らしいマジックリアリズム的な要素を感じるので、今後はそのテイストで作られるのを期待したい。
あと、サウンドについてはハムノイズなどノイジーな要素も多い。ヒトラーが愛聴していたワグナーや(いやー完全に意図してますよね)、トラディショナルなフォークロアも童話的なおどろおどろしさがある。
『オオカミの家』で使われてる曲が気になる方へ、音楽のクレジットです。
— シネフィルDVD (@cinefilDVD) August 24, 2023
一番印象に残るのはブラームスが民謡をアレンジした「眠りの精(砂の精)」です。子守歌とか讃美歌って、『狩人の夜』でロバート・ミッチャムが歌う「主の御手に頼る日は」みたいに、逆に怖く聞こえることありますね。 pic.twitter.com/jDQZm1RIku
出来れば狭いイメージフォーラムではなく、広いキャパと音響が優れてる川崎チネチッタで鑑賞するのをおすすめしたい。中々この手の映画をあのキャパで観る事はないと思うので。