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【映画】砂の上の植物群/中平康
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タイトル:砂の上の植物群 1964年
監督:中平康
アンチモラルと倒錯したセックス描写。女子高生と口紅の赤と血の赤。フェティッシュなクローズアップと反復。痴漢と強姦とピーピング。ある種の軽さが、80年代以降の日本の中で表面化する、性に対するモラルの無さに通じる感覚があり、あからさまに欠如した倫理観に辟易する。男の都合で語られる性への視点がどうにもポジティブ過ぎる。あたかもそれらを女性も受け入れていると受け取る男のいやらしさ。ただそれらの違和感も織り込み済みで(全てとは言えないが…)、ピーピングしていた主人公がピーピングされる側に陥ったような妄執する場面が差し込まれる。
人物たちが情念や性欲にかられ、それぞれ抱えているものが自己完結されていて、感情が交わらない。自己の悦楽と疑念へまっしぐらに進み、他人のことなんて一切取り繕ろおうともしない。全員が思ったまま突き進むのみ。
この物語が男の妄想なのか、現実なのかもはっきりとは示されず煙に撒かれる様な感覚を覚える。しかし後半に行くにつれて、妙に引き込まれる魅力がある。俳優陣の魅力もさることながら、地に足のついていない、ふわふわとした共犯関係が違和感と共に心地よいテンポで描かれるアンビバレントな雰囲気を保っている。
高級そうなレストランの食事が、一瞬にしてがやがやと下世話な空間へと変貌し、袖から覗きみる縄の後に性的な興奮から場所を後にする。その後のエレベーターのシーンの不条理な雰囲気は扉の開閉の反復が永遠に続く様な、不思議な描写で終わる。これらの描写をみて何となく伊丹十三の作品が頭をよぎった。
つらつらと書いたものの、この映画の魅力がどうも言葉で掴みきれない。アンチモラルとばっさり切るには、それとは違う感覚が後に残る。ミドルエイジクライシスがテーマにありながらも、どうもその後の時代が築いた価値観を通して見ると、日本人の倫理観の歪みがすでにこの頃からあったのではないかと突きつけられる。一方で、内面にある歪みが解放される瞬間をどこか常に望んでいる事を代弁している様にも思える。飛躍した考えと、短絡的な行動。欲望のままに生きながら、実生活は揺るがない。家庭のシーンと、姉妹との性愛の描写がパラレルで描かれていて、どうにもそれらが繋がらない。妻の態度も夜遅くまで帰らない亭主に対する呆れとは少し違う。メロドラマ的な展開もなく、並行して情事が進む違和感。そう考えると、男の妄想が繰り広げられていて、エレベーターのシーンは終わることのない妄想に取り憑かれたとも受け取れる。
映画を観終わってから吉行淳之介の原作と知って、どこか腑に落ちる感じがあった。人や場所に囚われる感覚がこの映画の肝なのかもしれない。