【映画】エターナル・サンシャイン Eternal Sunshine of the Spotless Mind/ミシェル・ゴンドリー
タイトル:エターナル・サンシャイン Eternal Sunshine of the Spotless Mind 2004年
監督:ミシェル・ゴンドリー
タダ券があったので、渋谷に向かったらハロウィン当日というのを忘れてて駅周辺は大混雑。ル・シネマが駅前だから苦もなく到着できたけど、シネクイントだったら劇場に着くまでが大変だったかも。そういえば日韓ワールドカップの時も、混雑する渋谷の人々を傍目で見ながら映画館に向かった記憶が蘇る。まあ昔からこういう行事ごとには全く関心がないのだよな。ハロウィンでざわつく人たちの顔ぶれを見ると、いつにも増して海外の人が多く、みんな何を求めてここに来るのだろう?と疑問に思う。
エターナル・サンシャインはミシェル・ゴンドリーの作品の中で一番好きな作品なのに、劇場で観ていなかった。久しぶりに触れる35mmフィルムの質感のアナログらしいソフトなフォーカスが、本作で意図的に多用されるピンぼけや被写界深度の浅い映像とマッチしていた。ただフィルムのもつポテンシャルは12k程度らしいが、フィルムの劣化や映写機のランプの照度の低さ、音質のこもり具合など現代のデジタルのシャープさを凌駕する良さがあるかというと首をもたげる。アナログレコード好きな反面、アナログメディアに対するロマンはとっくに捨て去っているので、質の面で利点がない限り実のところそれらを有り難がるのはどうなのかなとも思ってしまう。作品の旨みというか正直再現性は劣ると感じてしまう。ニュープリントだったらまた違った感覚を覚えたかもしれないけど。
しかしながらこの作品の素晴らしさは二十年の時を超えても充分なほど伝わってくる。ゴンドリー作品の中でも、映像と物語、脚本、配役、音楽が軌跡的に全てがマッチした作品は後にも先にもなく、これを超えるのは難しいよなと改めて感じられた。小道具の面白さは全作品一貫しているが、記憶と感情をテーマにしているだけに、郷愁と喪失の先にある感情の描き方の普遍的な描かれ方のバランスが程よく、ごちゃついてる割にストレートに伝わってくる。ごちゃついただけで終わってしまった「恋愛睡眠のすすめ」や、ボリス・ヴィアンの頭の中を再現しようとしたあまりエモさが欠けてしまった「うたかたの日々」と比べると、本作はフックになる部分がしっかり抑えられている。倦怠期から出会った頃の新鮮な関係へと逆行しつつ、クレメンタインとの記憶に執着し続けていく。記憶を辿りながらひとつひとつ消し去られていく中で、それを留めようと呼びかけるジョエルの中のクレメンタイン。恋愛の中で都合の良い記憶を留めようとするのは、意外と関係が終わった後なのかもしれない。未練といえばそれまでなのだけど、別れの時ほど過去の連なる記憶が舞い降りてくる機会は進行中の出来事ではあまりない。
記憶は消されても残り続ける感情は、結局記憶の中の場所を辿って出会ってしまう。カセットテープに収められた過去の記憶と向き合う時、消された倦怠の記録が再びの邂逅の先にある未来を予兆させるが、それでも惹かれ合うというのはどういう事なのだろう。関係が続くことは記憶の重なり合いであり、不破が起きればその重なり合いは破綻へと導かれる。しかしながら、その記憶がオミットされた状態で再び出会う時、破綻した記憶のない過去と向き合う時、それを凌駕する感情だけが残っている時、一体どの様な感情が生まれうるのだろうか。そんな哲学的な問いが残されるのはフランス人らしい気質なのだろう。ヴィアンの「うたかたの日々」はサルトルの影響もあるが、哲学的な視点を含めた作風をユニークに合致させた作品がまさに本作だったのではないだろうか。
恋愛をベースにSF的なテーマと不条理をここまで昇華させた作品は中々他にない。優れたSFは日常と紙一重であり、感情をエモーショナルに揺さぶってくる。
ただラストにかけてそれまでの勢いが若干削られた感があって、もっと畳み掛ける様に終幕へと向かったらもっと良い作品になったのではないかとも感じてしまった。
音楽の面では、ベックのコーギスのカバーもオリジナルを超える素晴らしさがあるが、ジョン・ブライオンのローファイなスコアも印象に残る。ブライオンの数多くある傑作のなかでも面目躍如な作品でもある。