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【映画】ター Tár/トッド・フィールド
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ラストシーンのあの光景を観て、昔観に行ったエヴァンゲリオンの音楽をフルオケでやるコンサートを思い出した。そういえば場所も劇中で名前が出てくるBUNKAMURAのオーチャードホールだったし、流石に場所が場所なだけにコスプレはいなかったと思うけれど。アニメやゲームのファンとクラシックファンの違いはあれど、オケの需要という点では差はないのかもしれない。単純に考えれば音を楽しみに来る人々とという所は共通している。けれど世界最高峰のベルリンフィルから、フィリピンのゲーム音楽のオケへの転落は見ていても中々に心にグサリとくるものがある(まあ、あそこまで極端に転落するのか?という疑問はあれど)。この映画が凄いのが、そのフィリピンでの生活までも描いていて、オーケストラの並びに似た、女の子が部屋に詰め込まれた部屋で「5」という数字(マーラーの第五番とチェロの位置)に過去がフラッシュして吐くシーンなどとにかく描写が細かい。
実在のクラシックの作曲家や演者、指揮者の名前が次々と語られるが、一番驚いたのが冒頭の対談で出てきたナディア・ブーランジェの名前。指導者として名高い彼女の門下生は、クラシック界に限らず様々なミュージシャンを生み出していて、ピエール・アンリやフィリップ・グラスら現代音楽、アストル・ピアソラ、エグベルト・ジスモンチ、ミシェル・ルグランなどがいる。実はブーランジェと対になっているのがバーンスタインで、後半で実家のVTRに映る番組はクラシックの啓蒙番組で同じ役割を担っていた人たち。他にもブーランジェに限らず女性である事とクラシック界で活躍する事の実情が、劇中のあらゆる部分に張り巡らされていて、主人公ターの立ち位置がどういうものなのかがそういった所からも伺える。
それにしてもターを演じるケイト・ブランシェットのカリスマ性の凄まじいこと。役の雰囲気としては、ウッディ・アレンの「ブルー・ジャスミン」での徐々に内面が崩壊していく役柄を思い起こさせるが、こちらの方がよりダイナミックで繊細。ポスターでも使われているのけぞるように指揮をする姿は、ぐいぐい押されるような気迫がある。ブランシェットを想定して当て書きされただけあって、彼女のポテンシャルが遺憾無く発揮された作品なのは間違いない。
映画全体を思い返すと、前半は社会的立場から見たターの外面が描かれていて、後半に行くに従ってターだけでなく彼女と関わる人々の内面が露わになってくる。一見音楽家としての彼女が苦悩する姿のように見えながら、周囲との軋轢から内面が崩壊していっているのが分かってくる。周囲とのパワーバランスからくる認識のズレもあるのだけれど、誰しも人を動かしたり権威のある立場になった時、私利私欲なのか公平なものなのかの基準、境界線が曖昧になる部分は多々起こりうる。そういった時に判断材料となるのは、日々の行いだったり言動だったりするのだけど、リーダーとして振る舞う場合には時として無理強いする場面もあるだろう。女性が男性社会の中で成り上がるために男性化してしまう危うさもあるだろうし、ターとシャロンの関係も同性愛ではありながら、バランスとしては家父長的なスタンスが結構重要なポイントだと思う。
もう一つのポイントがサントラで、映画の中では一部しか出てこないレコーディングの内容が組み込まれてる。映画を観て、さらにサントラを聴く事で完結出来るのも本作のユニークな部分でもある。