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【映画】アデュー・フィリピーヌ Adieu Philippine/ジャック・ロジエ
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タイトル:アデュー・フィリピーヌ Adieu Philippine 1962年
監督:ジャック・ロジエ
リリアーヌとジュリエットが通りを横切るシーンの言葉に出来ない素晴らしさ。シーン自体は特に意味は無いのに、ふたりを取り巻く雰囲気や街の喧騒が生き生きと伝わってくる。このシーンだけでもこの映画の素晴らしさは格別なものだと感じる。映画全体でフォトグラフィックな美しさを持つが、とはいえスチールでは伝わらない映画ならではの躍動感が静かに描かれる。
女の子ふたりと男の子ひとりの三角関係の物語に見えつつも、ふたりとひとりの話がパラレルで描かれているようにも思える。表面的にははしゃぎ周り、ゲームのように男の子ミシェルを取り合うふたりの女の子の話の筋が中心に見える。しかしミシェルはテレビ局での仕事と、二ヶ月後の徴兵の狭間に置かれる。冒頭にアルジェリア戦争の文言がある様に、戦争真っ只中の時代が背景にある。「アルジェの戦い」を観ればわかるが、この映画の陽気さの光と対極にアルジェリアの闇がミシェルの未来にのしかかっている。しかも兵役に出れば二年以上は帰ってくる事が出来ない。物語の中で兵役を終えたデデが27ヶ月ぶりに帰ってくるシーンがあるが、兵役生活を聞かれても口をつぐむ。何があったのかを語るには、余りにも場違いである事と、アルジェリアで起きている事への後ろ向きな感情の答えのようにも感じられる。
その様なバックグラウンドがありながらも、男女の駆け引きや、刹那的な短いヴァカンスが楽観的なまでに描かれる。リリアーヌとジュリエットがミシェルへの想いがゲームを超えて恋心へと発展していくように見せかけて、詰まるところお互いの行動への嫉妬心でしかなかったりもする。ミシェルにとっても、一時的な楽しみから、兵役を終えた後の未来としてふたりに希望を託している。二十代の中の五分の一が国に搾取される現実と、自分も彼女たちも確約出来ない恋心に別れを告げる。出会いのゲームが別れのゲームとなるラストの執拗なまでに延々と映し出される別れのシーンは、気持ちがリゾート地に置きざりにされながら、無情にも突き進む船の行先は戦禍へと向かう。劇中で流れる様々なラテン音楽は、陽気さの中に哀愁が内在されサウダーヂを生み出す(同時代の日本映画でも頻繁にラテン音楽が登場するが、この時代でいかにラテン音楽が流行っていたのかが如実に分かる)。
楽観的なヴァカンスを描きながら、市井の若者の他愛もない日常を、映し出さない戦禍と交える辺りがヌーヴェルヴァーグ作品らしさでもあるのかなと。