【映画】彼方のうた/杉田協士
タイトル:彼方のうた
監督:杉田協士
日常の中で録音や録画された記録の中に収められているかつての時間に対面する時、過ぎ去った時間を飛び越えて直接に眼に耳にダイレクトに訴えかけてくる。今だとiPhoneで簡単に録音も録画も簡単に出来る。一昔前前だったら、カメラなり録音機材なりを引っ張り出してしか出来なかった事が簡単に出来る。
カセットの時代はテープの中に録画/録音のスタートとストップが繰り返された形跡の連続だけが残される。録音。停止。また録音。そして停止。スマホやパソコンなら、簡単に編集も出来るがカセットだと色々手間がかかる。
僕が幼い頃に、父が録画撮影したものを編集したビデオテープを思い出す。新しもの好きな父が、その時買ったばかりのビデオカメラで撮り溜めたテープは、多摩川の土手を走る僕と弟の姿を見上げるように捉え、音声部分は四季だったか何かのクラシック曲で上書きされていた。記憶と記録。そのテープも手元には無く、頭の中で残像として残っている。
2022年の個人的なベストだった「春原さんのうた」の杉田協士監督の待望の新作は、主人公である春が、亡くなった母親が残したフィールドレコーディングのテープに記憶された音を頼りに、録音された場所を追い求め、音と場所と自分を重ね合わせる。テープの中に含まれていた「亡き王女のためパヴァーヌ」のメロディを口ずさみ、日常と過去を折り重ね、記録から見知らぬ記憶を呼び起こす。
物語は春が中学生の頃に見かけたという雪子と剛のふたりと出会う所から始まるが、彼らとの関係ははっきりとは明示されていない。ただ何か大きな出来事があった空気だけが示される。「春原さんのうた」もそうだったが、明確に何が起きていたかという理由よりも、何かが起きてしまった後に残された感情だけが克明に描かれる。孤独や喪失、それ以前とは違う感情に突き動かされる人々をじっくり丁寧に映し出す。料理する手元だったり、会話だったり、ただ佇む姿だったりを、下手をすれば冗長になりかねない長さで切り取っていく。多くの場面でアップで撮られた表情は、感情を過剰に演出せず、あるがままの空気を醸成する。そこにあるのは、三人の関係から湧き立つ感情だけが目の前に現れてくる。シンプルな仕草の中に言葉には表せない、繋がりがはっきりと伝わってくる。
その一方で春は映画作りのワークショップに参加し、母との記憶を元にした映画というつくられた記録に取り組む。ワークショップからは、その場に参加した人たちとの関係が生まる。近い様で近くない人々の関係と、撮影時の親密な雰囲気のギャップ。その後の咲の撮影も、どこかよそよそしいけれど、ひとつのものを作り上げる共同作業の中に繋がりは生まれてくる。普段の生活を振り返っても、仕事や隣人と接した時、身近ではあるがふとした拍子に距離を感じる事は多々ある。そんな様子に近いものを感じる。
それにしても不思議な映画だ。パンフレットにはシナリオが収録されていて、それを読むとカットされたと思わしき場面や台詞も含まれている。物語の情報が大きく付加されるものではないものの、場面場面の狭間の細かい描写があり頭の中で再構築されていく。
それにしても台詞のないシーンの饒舌なこと。予告でも印象的だった、歩道に立ち尽くすシーンや、最後の抱擁のシーンなど言葉にしない表現が自然と心に染み入る。じっくりと時間をかけて描く事で表情から浮かび上がる穏やかな感情の起伏。妙な間や関係性は現実世界のリアルとは違う、映画内のリアルに重きを置いているのに、心の置き場は普遍的なリアルさを持つ。「春原さんのうた」ほどのインパクトは無かったが、次の作品も楽しみに期待させてくれる良い作品だった。
そういえば映画館で映画を観るシーンで、どこか聞き覚えのある台詞だなとおもったら、濱口竜介監督の「偶然と想像」だった。