【映画】ロボット・ドリームズ Robot Dreams/パブロ・ベルヘル
タイトル:ロボット・ドリームズ Robot Dreams 2023年
監督:パブロ・ベルヘル
色々な感情が込み上げる。虚しさから始まり、楽しさや悲しさ、何度も夢見る希望と繰り返される絶望。別れから来るいない事の寂しさは、見果てぬ再会を求めるが過ぎゆく時間の中でしか解決できない。その先にある音楽を介したある種の再会の切なさは、形作られてしまった新たな出会いを壊す事なく進む。
そんな事を頭の中でぐるぐると巡らせながら、一緒に連れて行った5歳の娘が終わったあとぽつりと「悲しい映画だったね」と呟いた。それを聞いて「悲しいところもあったけど、これはね寂しい気持ちでもあるんじゃない?」と伝えると、よく分からないという表情をする。寂しさや懐かしさを感じたり、それを言葉にするのはまだ早いかもしれないけど、そんな感情の萌芽を感じられたらいいなと思う。
鑑賞中に何度か腕で目を拭っていたので、聞いたら悲しくて泣いてたようだ。普段はアニメを観ても陽気な作品ばかりで、あまり泣くところをみた事が無かったから、ちゃんと作品の内容を受け取れていた事にほっとした。劇中で起きている事がまだよく分からず、海開きなどは流石に意味が分からなかったようで、なんで扉が閉められて入れなかったのか?と聞かれて説明してあげた。
本作はいくつか字幕があったりするが、基本的にセリフが全くない作品なので、子供でも充分楽しめると思うが観に行った回の会場を見渡すと子供連れは私たちのみ。SNSでも子連れが殆どいなかったという事で、その層にアプローチ出来ていないのはちょっともったいない気もする。
数ヶ月前に最初に予告を観た時、主人公のドッグの部屋にピエール・エテックスの「YO YO」のポスターが貼られていて驚いた。それだけでバスター・キートンやジャック・タチに連なる雰囲気を持つ作品なのだろうと想像させられる。
あと観劇する前にYouTubeに上がっているドキュメンタリーを観ていたら、「ブランカニエヴェス」のポスターが映り、同じ監督だったのに気付かされた。あの作風とアニメが全く繋がらなかったので正直驚いた。
作中の小ネタも多く、先の「Yo Yo」や寝室のピンク・フロイドの「狂気」のポスターや、トーキング・ヘッズの「リメイン・イン・ライト」のレコード(並びにあったのはドクター・フィールグッドかな?)、「オズの魔法使い」はキムズビデオのレンタルだったりと芸が細かい。スペインの監督らしくチュッパチャプスなんかも(帰り道のコンビニで娘が動かないと思ったら「あれ出てたよね?」チュッパチャプスを指差していた)。
スティーブン・キングのペットセメタリーを読んでいたと思ったら、ハロウィンでシャイニングのあの双子の仮装があったり、80年代カルチャーへのオマージュがところどころに差し込まれていた。冒頭のブルックリンの橋の下のベンチで座るシーンは、ウッディ・アレンの「マンハッタン」へのオマージュだろう。
監督のインタビューでは友情の脆さを描いていると語っていたが、それを繋ぐ役割としてアース・ウィンド&ファイアーの「セプテンバー」を使う所がにくい。”覚えてるかい?9月21日に踊った夜を”と始まる歌詞が物語とダイレクトに反映されていて、時間の経過と冒頭とラスト近くのダンスシーンが折り重なってくる。
物語はタイトル通りロボットの夢が幾度も出てくる。生き別れてしまったドッグの元へと戻ろうと夢見るロボットの実直さと、再会することなく無情に進む物語を繋ぎながら、想いが積み重なっていく。パンフレットの監督インタビューでは今敏の作品から強い影響を受けていると語られていてなるほどなと思った。確かに夢と現実が交差する描き方は今敏の作風に通じるものがある。
喪失と再生を描きながら、それぞれが別れて暮らす様は中々に切なくも思いやりに溢れてる。ページ冒頭に貼った中国版のポスターが全てを語っていて秀逸な出来だと思う。
宇多丸氏が何度も映るツインタワーと9月というテーマに喪失を感じざるを得ないというコメントをしていたのは流石だなと。
ブランカニエヴェスとアブラカダブラに続くアルフォンソ・デ・ヴィラロンガのスコアも中々に良かった。