【映画】ECMレコード サウンズ&サイレンス/ペーター・グイヤー&ノーベルト・ヴィードマー
タイトル:ECMレコード サウンズ&サイレンス Unterwegs mit Manfred Eicher 2009年
監督:ペーター・グイヤー&ノーベルト・ヴィードマー
ECMのバイオグラフィーを辿る映画と思いきや、2009年当時のレコーディング風景を捉えたドキュメンタリーに仕上がっていて、タイトル通りレーベルオーナーであるマンフレード・アイヒャーとの旅を記録したロードムービーの趣きもある。
ECM=マンフレード・アイヒャーというイメージが強いのは、やはり彼が関わる事で他にはないサウンドをパッケージするこのレーベルのユニークさとダイレクトに紐付いている。アイヒャーの美学がサウンドやジャケット、アメリカのジャズとは一線引いた曲調や人選全てに表れている事は、少しでもECMをかじれば分かってくる。でも実際にどの様なやりとりがなされているのか?本作の見どころはやはり、そのレコーディングのやり取りが克明に撮影されているところに他ならない。
一番レーベル色を感じさせるリヴァーブの扱い方…というよりもそこから生まれる間や空間の揺らぎへのこだわりが出ていたのが、ニック・ベルチュのレコーディング風景だった。初っ端からベルチュのピアノの音量を下げる指示を出しているのも驚きだが、そうする事でピアノのサステインとリヴァーブが揺らぎ始め、全体のサウンドデザインが変化していく。アイヒャーのイメージする音像が、細かい指示の下で具現化されニック・ベルチュとバンドのサウンドが研ぎ澄まされていく様はかなりスリリングでもある。しかしながら、一方的に進めるのではなく、あくまでもミュージシャンやエンジニアとのコミュニケーションを取りながら、進めていたのも忘れてはいけない。
アイヒャーがプロデューサーになるきっかけとなったのは、ミュージシャンとして感じた場の音と、レコーディングされた音とのギャップを感じた事だったという。60年代後半から70年代にかけて、レコーディング技術の革新が進む中、トラック数の増大やコンプレッサーなどのエフェクターの導入などから、アコースティックなサウンドから離れていった時代というのが主な原因ではないだろうか。マイクの数やトラック数がまだ少なかった50年代の録音の方がアコースティックな雰囲気を捉えていたし(低音の処理がまだ未熟ではあったものの)、60年代以降は過剰に作られたサウンドを目指す代わりに、その場の空気からは離れつつあったのも事実だろう。80年代に入ってからデジタル録音を導入したのも、ノイズに対するSN比の向上もあると思うが、あるがままの音を捉えようとした結果のように思える。
意外だったのがレコーディング時のアイヒャーの様子で、ノリに乗ってきたアルヴォ・ペルトがアイヒャーの手を取り踊り出したり、軽い冗談を言ったり、ミュージシャンにタイトルの確認を行ったりと、決して独裁的にシビアに物語を進める人ではないという事だった。耳で判断しながら、周囲とコミュニケートし、現場に寄り添う姿は、何となくイメージしていた姿とは少し異なっていた。
チック・コリアやキース・ジャレットら70年代の時代を作ったアルバムたちなど、年代ごとのアイヒャーの考えも聞きたかった所だが、この時代の様子をみるだけでも、過去の時代を想像するには事足りるのではないだろうか。音が全てであり、その音から映画の中でのやり取りと過去のアルバムのレコーディング風景を想像するのも一興だと感じる。
もうひとつ驚きだったのは、ECMのオフィスがアウトバーンの真横にあり、車の騒音が鳴り続ける環境だった事。サイレンスとは程遠い環境というのも意外だった。簡素で事務的なデスク周りや、民生のさほど高価ではないと思われるオーディオでのリスニング環境も意外だった。
そういえば昔ミュンヘンに行った時、大型のCDショップの壁面に大きくECMの看板があったのを記憶している。当時はあまり興味がなかったのでまじまじとは見なかったが、ECMのオフィスのあるミュンヘンらしい光景だったのだなと。