【映画】ファニー・ページ Funny pages/オーウェン・クライン
タイトル:ファニー・ペイジ Funny pages
監督:オーウェン・クライン
とにかく色んな意味で酷かった「ディックロング」辺りからA24だからなんでも観るという時期は僕の中ではとっくに終わっていて、オカルトやホラー(ヘレディタリー)、キリスト教もの(ミナリや魂のゆくえ)は基本的にしっくりこないものが多い。とはいえ作家色の強い監督の映画が多いので、選別して観るようになってきている。
そんな中、恐らく配給会社が小粒な作品と判断したと思われる「A24の知られざる映画たち」は、ケリー・ライカートの「ショウイング・アップ」の様な普通に上映しても良かったのでは?と思う作品も含む特集上映で、多くのラインナップからどれを観れば良いのか正直迷う。三本観ればオマケが貰えるという下心はありつつも、とりあえず三本は観ようと決めていた。三本の内訳は先日アップした「ショウイング・アップ」、ちょっと入り込めなかった「エターナル・ドーター」、そして「ファニー・ペイジ」の三つ。
というわけで「ファニー・ペイジ」なのだが、とにかくアクが強いキャラクターしか出てこない。大島依提亜氏がゴーストワールドの脇役だけしか出てこない映画と評していたのがどんぴしゃな作品だった。
ダニエル・クロウズというよりもロバート・クラムの下世話さを、劇中のコミックだけでなくリアルな人物として描くと、まあこうなるよなと感じる事の連続。ナードっぽさや奇人っぽさを演出する時の湿った髪のじとっとした質感のまあ嫌な事。輪をかける様に主人公と訳あり住民たちの暮らすボイラールームの蒸し苦しさったらもう…。
同じナードでも「ビッグバン・セオリー」が爽やかに感じられる不思議。清潔感がこの辺りを二分するんだろうなと強く意識せざるを得ない。
とにかく奇人変人しか出てこないのだけど、所謂リア充達との対立は一切無く、どうにも立ち行かない人たちだけで描かれているのが面白い。完成されたダメ人間と、ダメ人間に突き進もうとする主人公の通過儀礼のような物語でもある。見に積まされるのは、人生を掛け違えた人たちの没落とそこに陥ろうとしている主人公との対比がぶつかり合う描写だと思う。中産階級で劇中では比較的まともな主人公の両親も、奇人たちに挟まれると歪な存在に映る。真っ当に生きようとする姿すら、どこか滑稽で果たしてそれが正しいのかをも問う。いや言ってることは正しいのだけど、幸せの形を考えると、はてそうなのか?と思いながらもまあそうだよなと思ってしまう。極端すぎて普通の基準が揺らいでしまうが、意外と倫理観を根底から考えさせられる作品であったと感じられる。
エンドクレジットを見てサフディ兄弟の名前を発見し腑に落ちた。A24が配給したサフディ兄弟の「グッド・タイム」や「アンカット・ダイアモンド」のテイストにかなり近い雰囲気はある。極端な奇人度は本作の方が強いのだけれど、人間模様の歪さは通じるものがある。監督のオーウェン・クラインが脚本をサフディ兄弟に送った所から本作の制作に繋がったという事だが、意外と作風は近い様に思える。現場でもサフディ兄弟が助言していたので、当然といえばそうなのだけど。
そんな監督オーウェン・クラインの出自を知りびっくり。バームバック監督の「イカとクジラ」の弟役で出演していたり、そもそも「グレムリン」などで活躍していたフィービー・ケイツの息子としってさらに驚いた。しかも妹はUSインディーシーンで名を馳せるフランキー・コスモス(彼女を主人公にして短編を撮ったらしい)というのも驚き。フランキー・コスモスもフィービー・ケイツの娘なのか!とこちらも驚いた。二世タレントも多いアメリカだけれども、インディペンデントな作風も内包するアメリカの土壌の広さを強く感じさせる。
冒頭の音楽を聴いてペットサウンズなサウンドはもしかして…と思ったら案の定ハイラマズのショーン・オヘイガンが担当していた。飄々としたオヘイガンの音楽が流れるとコミカルさが増す。アメリカのインディペンデントがユニークなのは、こういったカレッジチャート的な音楽も使ってしまう所だと思う。メジャー作品では絶対にあり得ないし、作品をコントロール出来るからこその起用だったのかなと考えると、今のアメリカの文化の芳醇さが窺い知れる。