【映画】ぼくのお日さま/奥山大史
タイトル:ぼくのお日さま 2024年
監督:奥山大史
シンプルなストーリーの中に三人の居場所が示されていて、それは真っさらな状態から作る場所であり、築き上げてきたものを磨き上げる場所であり、終わった後の先の新たな場所である。
一見シンプルなようで、三者三様の場所を分かち合う時柔らかな光が差す場所になる。スケートリンクに差し込む光が生み出す陰影は、ひとりとふたりと三人では映し出される心の模様は不思議と全く異なる印象に映る。単純なようで複雑な心理描写が連なっていて、物語が進むほど感情が折り重なっていき、相反するように互いの距離は物理的にも離れていく。同じ周回に繋がった惑星が軌道を離れてバラバラになっていくような、切なさとは少し違った感情が込み上げてくる。
それにしても日本映画が新たなフェーズに入っているのがよく分かる。割り切れない感情を描く作品が増えてきているし、不条理というほど現実にある軋轢とは別の所にランディングする。本作でいえば人生の上手くいかない様を、監督のインタビューを引用すれば「孤立とセクシャリティ」という部分で描き切っていた。明確に時代を示すものはないのだけれど、パンフレットの内容から察するに2000年辺りの出来事で(荒川はガラケーだった)、バブルの喧騒からはほど遠くも、今に比べれば楽観的な時代だったとも言える。けれどそんな時代性は特に描かれず、それが現代だったとしてもあまり違和感はない。しかし本作の残酷なまでのセクシャリティへの視点は、十代の無自覚な暴力性が今の時代であってもそうそう変わらない感覚なのかもしれない。淡い恋心を寄せるトレーナーへの拒否反応は、設定が現代であれば少し描き方は変わっていたかもしれないが、そこに寄りすぎると作品として説明過多になりかねない危うさもある。
何よりもスケートリンクを滑走するシーンの素晴らしい事。単なる躍動感の演出に収まらない主人公たちの距離感に、カメラがぴったりと寄り添い淡い空気の中に様々な感情を醸成する。あれを観ているだけで自然と感情が昂り、言葉に出来ない感動が芽生えてくる。面白いのが、画面に出ずっぱりだったタクヤの感情が動作と共に常に伝わってくる情報量の多さを感じつつ、印象的な吃音のセリフを聞く度に喋っている言葉の少なさが相対的に炙り出されてくる。もっと喋っているような印象があるのに、特徴のある会話を思い返すと殆ど喋っていない。喋っていないのに不思議と饒舌な印象が残ってくる。というか、どのキャラクターもさほど喋っていないのに、どのシーンにも的確な表現がなされている事が、思い返せば返すほど驚かされる。ミニマムなのに最大限の効果を生んでいる監督の手腕は、地味ながら凄いと思う。
氷上の湖畔で滑るシーンで流れるZombiesによるLittle Anthony&The ImperialsのGoing out of my headのカバー(先日亡くなったセルメンのカバーも有名)も印象的だが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド風やアコースティックな楽曲を提供したハーバートハンバートの佐藤良成のサントラも、ライトだが過不足なく映画に寄り添っていた。