【映画】Happy End/空音央
タイトル:Happy End 2024年
監督:空音央
冒頭の疾走するシーンから真っ先に思い浮かんだのは相米慎二の「台風クラブ」だった。もちろん空監督がフェイバリットに挙げているエドワード電話ヤンやホウ・シャオシェン、ツァイ・ミンリャンら台湾ニューシネマの影響も感じる。ただ台湾ニューシネマの中にある無軌道で切迫した空気と、この作品に流れるある種の軽さには距離を感じていて、軽さという点で「台風クラブ」のノリに近い。中学生と高校生という立場の違いや、考え方、あるいは立場の違いこそあれ通ずるものがあった。
インタビューを聞く限り相当多種多様な映画に触れているので、あらゆる青春映画をリファレンスしつつ現代(劇中は近未来の設定)へとアップデートされている所が何よりも魅力に感じられる。
インタビューを聞いて驚いたのが、空監督自身は学生生活をアメリカで過ごしていたため、日本の高校は直に触れてはいないのに、違和感のないというかリアルな十代の子等の学校生活が描かれていた事だった。そのためには周囲のスタッフやキャストからもコミュニケーションを取って作り上げたのだろうけど、言われなければ気付かないほどの見事な作り込みがなされている。
それにしても、主人公のユウタやコウに限らずみんな表情が良い。アップで映し出される顔も、引きで撮られる時の様子も活き活きとしていて、それだけで画面の中に引き込まれていく。不良映画を撮りたかったという監督のテーマは、ひと昔ふた昔前であれば、もっと殺伐としたヤンキーっぽさが出てしまうと思うが、アウトローまでは行かない辺りが程よいバランスで成り立っている。実際に学校の中でも、極端なヤンキー像よりもこれくらいのやんちゃさの方が圧倒的に実像に近い。こういう温度感で描く事ができる今の時代のこういった作品の方が、しっくりくるし、僕自身も昔からこういう感覚を求めていたのに全くなかった。もし自分が今十代という立場だったら、自分の映画だ!と感じるだろうし、大人になった今でも至極フィットする感覚がするりと体の中に入り込んでくる。2010年代くらいから、若い世代が無理な表現を避けてコマーシャルな部分を削っている印象があって、それは映画でも音楽でも強く感じている。分かりやすいジャンルに収まりきらない表現が、ナチュラルに台頭してきている今の若い世代は羨ましく思う。
色んな出自の学生たちや、移民排斥、ヘイトなど政治的な内容も含んでいるが、何か行動を起こさねばと”漠然とした何か”に突き動かされるコウの行動も高校生らしい感がある。
結果的にそんなコウよりも楽観的に生きようとするユウタの方が、ある種の政治的な行動を起こしたりと、想いと行動がパラレルになる瞬間、やり場のない感情が込み上げてくる。諦めや均衡を保とうとする人たちの感情も取り上げつつ、冷笑に終わらない所に、今変えなければ同じ事が繰り返されるという所作に強いメッセージを感じさせつつも、カジュアルに問題意識を向けようとする感覚が良かった。
東京ではない都市なのは一目でわかるが、神戸や大阪がロケ地で使われたというのも面白い。
都市のイメージの集合体を作り上げながら、高架の高速道路やモノレール、高層マンション、クラブなど日本の見慣れた風景でありながら、何処でもない架空の都市なのに、しっかりと街並みも語り部として存在感にあふれている。
日本映画が芳醇な時代を迎えているけれど、今年観た作品の中でも濱口竜介や三宅唱と言った監督を超える作家の到来を告げる作品であると思う。青春映画の新たなマスターピースなのは間違いない。