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考えてわからない時はアンチノミーに陥ったといい、真逆だと思ったらコペルニクス的転回だといえたらかっこいい、そう思っただけのカントだけど、今こそ道徳を改めて考える。

エマニュエル・カント 1724〜1804  Immanuel Kant  (独)

「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」を主要著書に持つドイツの哲学者カント。朝起きてから寝るまで規則正しく独身生活を送っていて、80歳でなくなります。わりと長生き。「独身生活」がいいのか、「規則正しく」がいいのか。そんなことは哲学とは関係ないので置いておくとして、NHK 100分で名著でやってたからここにnoteしときます。

簡単にまとめようと思って、備忘録にしとこうと思ったのに、なんだか思っていた以上に功績のある方だったんで、ざっくりできるかわからないけれど。

ア・プリオリ 対義語はア・ポステリオリ 「経験に先立っていること」
人間にはあらかじめ「経験の仕方」と「理解の仕方」がプログラミングされている。
1 「感性の形式」(経験の仕方)
  物事を「空間的」「時間的」にものを捉える。
2「悟性のカテゴリー」
  物事を「原因」と「結果」で考える。

物自体 対義語は現象 「人間は本当の姿を見ることはできない」
りんごを赤くて、丸くて、、、と人間の感覚機能の構造が捉えた情報によるもの。本当のりんごは人間には知り得ない。物自体に行き着くことはできないのである。

カテゴリー 12通りある
物自体を捉える対象認識の方法(その一つが悟性のカテゴリー)人間には元々備わっている。つまりアプリオリに備わっている。

現象 対義語は物自体
人間が対象を解析した後の対象の姿 カントの考え方によると対象と現象は一致しない

コペルニクス的転回 転じて、従来の考えが180度変わるの意
対象を直接認識できるわけではなく、人間の考え方のシステムでもって対象のものが特定するという、従来の考え方とは180度違う考え方。

理性のアンチノミー(2律背反) 経験を超えた理性の混乱を導く議論
「この世は有限である」は正しいけれど間違っている。この世は無限であるという主張も同時に証明されてしまう。世界の始まり、神の存在は認識できないことを明らかにした。

道徳法則 自然界における自然の法則 「汝、〜すべし」動機説
人間界には普遍的にみんなが納得できるような行いである道徳法則があり、良心の声が理性に訴えてくる。道徳は手段ではなく目的であるべき

定言命法 対義語は仮言命法 「つねに〜すべし」
道徳は目的そのものであるべし 仮言命法「〜したければ・・・せよ」はNG。道徳行為に理由はない

現象界|英知界
英知界は「道徳法則」や「物自体」の世界そこには大きな壁があって、それらを見ることは不可能。しかし、道徳法則は良心の声「汝、〜すべし」が聞こえる為認識可能となる

理論理性|実践理性
対象を認識する能力と道徳的な行いをしようとする理性

格率 個人的、主観的な規則 信念
「汝の意思の確率が常に同時に普遍的法則となるように行為せよ」
自分が何をどうすると決めている
格率=道徳 →自発的な道徳でもって人は自由を手に入れられる

自律 
道徳は神から与えられた他律ではなく自分で作った自律となる
道徳的であること=自律的 →自由

目的の王国 対義語 自然の国(因果律が支配する国)
自律した人のことを人格という。道徳は目的であり、結果や理由は重要ではない。それを互いに尊重しあっている世界を目的の王国とする

批判哲学 批判とは「そもそも・・とは何か?」を見直すこと
3つの代表作「純粋理性批判」認識論、「実践理性批判」道徳論の決定版、「判断力批判」美学の決定版

以上、列挙しました。いつものように哲学といえば、これ頼り。本当に助かります。100分で名著を見てたら、急に宇宙は有限か?神は存在するか?とか言い出したから、わわわ、、、。と完全に置いてかれた気がしましたけれどおそらく道徳は神からの指令(他律)ではなく、自分から湧き起こる良心の声、無条件の命令(自律)によるべきだというのが最重要項目だったんですね。

「宇宙は無限か有限か」。宇宙に時間的な始まりがあるとすると、その前には時間が存在しないことになり、いかなる出来事も生じず宇宙は誕生しないことになる。逆もまたしかり、、、
※100分で名著より抜粋

人間はそのアンチノミーも受け入れて、道徳的行いをしていけば、目的の王国いわゆる平和世界が訪れるんですね。

これって、前回書いた、戦後までの小学校の教科書で書かれていたという「修身斉家治国平天下」に似てるなあ。自己から始まり社会に終わる。結局これに尽きるのかもしれません。きっと人によっては変な解釈をする人がいるかもしれないけど、要するに自分がちゃんとしてたら周りもそうなっていくし、周りの人にどうこういうんじゃなくて、「自分が〇〇すると決めている」ことで社会が良くなる。「自分で決めたことだから」といって道徳的な行いをする。かっこいい〜。それが単なる自己中ではなくて、なんといっても良心の声を聞くのですもの、他の人にとっても良い行い、気持ちの良い素敵なことが起こることうけあい。

ああ、哲学用語使えたらかっこいい。そんな恥ずかしいこと思っていただけのカントだったけれど、いい思考だった。何かに迷った時に思い出すといいなあ。今回も勉強になりました。

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