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Quincy Jones(クインシー・ジョーンズ:1933年3月14日〜2024年11月3日)死去

今年は良く知られている海外のアーチストが亡くなった気がする。
時代の変遷期なのだろうか。

フランク・シナトラからマイケル・ジャクソン、ウィル・スミスまで数々のスターたちと仕事をしてきたアメリカエンターテイメント界の巨人、クインシー・ジョーンズが91歳で亡くなった。

1980年代にマイケル・ジャクソンのアルバム「オフ・ザ・ウォール」、「スリラー」、「バッド」をプロデュースしたことで最もよく知られている。このアルバムにより、この歌手は史上最大のポップスターとなった。ジョーンズはシナトラ、アレサ・フランクリン、ドナ・サマーなど多くのアーティストの音楽もプロデュースした。

ジョーンズは1933年にシカゴで生まれた。白人のハーフである彼の父親はウェールズ人の奴隷所有者とその女性奴隷の一人の子として生まれ、彼の母親の家族も奴隷所有者の子孫だった。彼が音楽に触れたのは、7歳の時に習い始めた隣人が弾くピアノと、母親の歌声を通じてだった。

14歳のとき、16歳のレイ・チャールズとシアトルのクラブでバンドを組み、1948年にビリー・ホリデイのバックを務めたことがある。シアトル大学で音楽を学び、ボストンで音楽を続けるために東に転校し、その後、高校生のときにツアーに出たジャズバンドリーダーのライオネル・ハンプトンに再雇用されてニューヨークに移った。

ニューヨークでの初期の仕事の一つは、エルビス・プレスリーのバンドでトランペットを演奏して初めてテレビに出演したことで、チャーリー・パーカーやマイルス・デイビスなど、当時盛り上がっていたビバップ・ムーブメントのスターたちと出会ったことだった。

ジョーンズはかつてシアトル時代についてこう語っている。「音楽について書くとき、ジャズはこの枠、R&Bはこの枠、ポップはこの枠に分類されるが、私たちはあらゆることをやった」。彼の幅広い嗜好は、スウィング時代から変化したモダンポップスにも大いに役立った。

https://www.theguardian.com/music/2024/nov/04/quincy-jones-musician-michael-jackson-producer-dies


彼が生み出した曲への思いは記事にしたので、ここでは冥福を祈るだけ。

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今(契約中)は、Apple Musicなのでリンクはこちら。

 

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