わんつか青森 #3〜津軽地方を観光②〜
青森県みたいな未開な地なんてわがんねよ!
て方は、こちらからどうぞ!
前半はこちら↓
さてさて、北津軽の旅。
五所川原方面へ。
このあたりの有名人といえば、そう。
青森が生んだ、和製ラップの第一人者。
この御方。
この御方の白亜御殿もある地域です。
斜陽館
そんな御方よりも、この地域で有名な人といえば青森が誇る文豪、太宰治。
そんな太宰治の生家、斜陽館が金木にあります。
太宰治の家、津島家といいますが青森でもかなりの家系。明治時代の財閥で、多額納税者という、こんなド地方には信じられないぐらいなお金持ち😳
なんなら津島家は青森でも政治家の家系で、太宰の父親も議員でしたが今も続く議員の家系です。。ボンボンやん。。
斜陽館は太宰治の父親が立てた家で、建築費用は現在の価格に換算すると8億円😃
なんだこの金額・・・
寂れた昔の町に突如現れるこの豪邸・・
そんな豪邸の1階の広さは・・私が子供だったら走り回るわ・・っていう広さ。
個人宅だったとは思えない庭・・庭師必要だよ。。
1階には電話室まで。
え?当時の家に電話室!?😳
この部屋は一階の一部にある家業の金融窓口の部屋。後の青森銀行に引き継がれたそうで、斜陽館の周りには今も青森銀行が立っています。
この家業の金融、太宰治は嫌っていたみたいですね。
二階にあがる階段は、もはやどこぞの舞踏会のお姫様が降りてきそうな立派な階段😫しかし、洋風と和風が一緒になっててすごい家。
二階は家族の部屋や応接があります。
太宰治の父親は議員だったので、ほとんど東京にいたそうですが家主の部屋、母親の部屋、議員秘書の部屋などがあります。
ここの応接の右の椅子で、子供時代の太宰治が寝っ転がってサイダーを飲んだというエピソードがありますが、なんという子供だ(笑)
太宰治自身は、中学校に上る前までの幼少期までしかいなかったそうです。
ごめんなさい。
津島家の財力舐めてました。
立佞武多の館
斜陽館から五所川原市内へ行くと、立佞武多の館があります。
ねぶたってなに!?ねぷたってなに!?
と思われると思うので、ちょっとだけ解説😊
青森県には、ねぶた、ねぷたと名のつくお祭りが↓こんなに沢山。
津軽地方中心に実施しているお祭りです。
ざっくりいうと、8/1〜8あたりに集中してあちこちでお祭りが繰り広げられます(なんなら荒っぽいお祭りですw)
もともと江戸時代の七夕のイベント、「眠り流し」が「ねむた」・・「ねぶた/ねぷた」と訛っていまの語源になりました。
そしてねぷた、とねぶたの違いは地域。ってことで、訛りの違いです(笑)
ここ、五所川原は「ねぷた」で3年置きに3台の大型ねぷたを中心に練り歩きます。(大型以外にも小中ねぷた合わせて合計15台ほど練り歩くそう)
この立佞武多の館は、現役大型ねぷたの秘密基地なのです😃
館にはいると、ドドーーーンと巨大な立佞武多がお出迎え😊
23Mはあるそうで、建物に換算すると5階建て分。
色鮮やかで巨大なねぷた3体は、破壊力抜群😆
五所川原の立佞武多は、明治から始まっているそうで当時からすでに20Mもある巨大な立佞武多があったそうな😳すごい・・・
でも太平洋戦争で当時の図面が消失。。
そのため長らくこのサイズのねぷたを作ることができなかったのです。。
ところが偶然1993年に消失したと思われた設計図や写真が発見!
1998年に立佞武多が復活!!!
そんな素敵なストーリーがあるお祭りなのです☺️
(掛け声は「やってま〜れ!やってま〜れ!」なので喧嘩気味ですw)
(MOHEMI、館内の立佞武多の歴史映像でまさかの号泣っw)
ところで、なぜ立佞武多の館が現役大型ねぷたの秘密基地といいますと・・
館内の通路・・
そう。拡大すると・・
この橋が開き、この館からお祭り時には巨大立佞武多が出陣するのです🤣
ロボット映画みたい〜〜!!
そんなわけで、立佞武多の館は3年の任期を終えるまで大事に立佞武多を守っているのですw
ちなみに2021年に撮影したこのねぷた3体は、令和元年に作られた区切りのいいねぷた。2020年も2021年も出陣がないので、早く出陣できればいいですね😀
青森市の人に怒られちゃうけど、動いていない展示で見ると五所川原の立佞武多のほうが破壊力あったかも。。
青森さ来たときは、寄ってってみてけれね〜〜
へばな〜😆(ばいばい〜)