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【遺書10】ASDなのはわかったけれど。

以前の記事でも書いたが、自分はASDと診断されている。

当初は診断結果に対して腑に落ちない部分が多かった。

というのも、ASDとネットで検索すると、

空気が読めない。

相手の気持ちを汲むことが難しい。

想像力がない。

相手の言葉を額面通り受け取ってしまう。

冗談や皮肉が理解できない。

こんな風な特徴が書かれていることが多かった。

ところが、自分としては、

必要以上に空気を読みすぎる。

相手の気持ちを考えすぎる。

想像しすぎる。

相手の言葉の裏を考えてしまう。

むしろ、真逆だと思っていたからだ。

無意識に失礼な言動をしてしまって後から怒られたという経験もない。

空気の読めない発言をして、笑われたり、注意された経験も記憶にない。

自己中心的な言動を指摘された経験もない。

本当に自分はASDか?

診断結果は本当にあっているのか?

もっと思ったことを素直に言えたほうが気が楽なのに。

もう少し自己中心的な言動をするぐらいが自由なのに。

もっと相手の言ったことを素直に受け取れたら悩まないのに。

そんな風に思って過ごしてきた。

そんな自分が、本当は空気の読めない奴と思われていたのだろうか。

無意識のうちに相手の気持ちを想像して、先回りして先回りして行動してきたつもりだった。

実際に、気が利くね、仕事が早いね、と言ってもらえることもあった。

そんな自分が、実は相手の気持ちを汲めておらず、想像力が欠如していると思われていたのだろうか。

それこそ、気が利くね、仕事が早いね、という誉め言葉は皮肉だったということだろうか。

いまいち、納得できていなかった。

精神科での心理テスト(バウムテストというやつ)の結果には、コミュニケーションスキルが比較的高く、人間関係の構築はうまい傾向にある、との記載もあった。

一方で、相手への過剰な気遣いが強いストレスになっている可能性がある、との記載もあった。

にもかかわらず、自分は空気の読めない奴なのだろうか。

ただ、より詳しく情報収集をしたところ、実はASDにはいくつかの型分けがあり、型によりその特徴は大きく違うようだ。

精神科での診断結果はASDということまでであり、その中での型分けがあることや自分がどの型に当てはまっているのかという話題は特に出ることはなかった。

そのため、あくまでここからは自己診断となるのだが、自分はASDの受動型というのが一番近いのではないかと感じた。

また、一部、孤立型や大仰型の性質も持ち合わせているのかなと感じることもあった。

とにかく何事にも受け身であり、特に人間関係において大きなトラブルを自らが起こすことはほとんどない、というような部分で受動型が一番近しいと感じたのだ。

ただ、一人の世界に生きている、基本的に一人で過ごすことを望んでいるという孤立型の一面もあると思う。

また、相手や状況になんとか自分を適応させようとあれこれ思案し、行動をするが、そのことで大きなストレスを感じやすいという大仰型にも理解できる部分がある。

そうしたASDの中での型分けというところまで情報を得ると、確かに当てはまることは多いなと感じられるようになった。

ところで、自分がASDなのはわかった。

少し時間がかかったけど、当てはまる部分もあるなと納得もできた。

ただ、自分の悩みや困りごとの本質的な部分はASDの典型的な特徴として挙げられているような項目とはいまいちリンクしていない気がしていた。

何に対しても無気力であること。

それが一番の悩みだった。

コミュニケーションが得意か不得意かどうかでなく、興味がない。

向いている仕事があろうが、なかろうが、やる気がない。

できることがあろうが、なかろうが、やってみたいという気がない。

自由であろうが、不自由であろうが、何もしたくない。

褒められようが、貶されようが、続けたくない。

何もかも無気力なのだ。

それはどうすればいいのか。

それが一番の問題だった。

ASDについて調べると、特性のほかにも改善方法や対策などもいろいろと出てくる。

全くやってみようと思わないのだ。

何もかも無気力だから。

それはどうすればいいのか。

それが一番の問題だから。

ASDを少しでも改善して、できる対策はできる限り取って、よりよい人生にしていきたいなんて全く思わない。

生きている実感を得たいとか全く思わない。

やりがいとか生きがいとかどうでもいいと思うようになっている。

こんな将来を手にしたいとか、こんな人になりたいとか、こんな成功をしたいとか、特にない。

無気力なのをどうすればいいか、といってはいるが本当はそれすらどうもする気がないのだと思う。

無気力をどうにかするために振り絞る気力がないのだから。

それを心の底では悪いとも思っていない。

ネガティブとも感じていない。

諦めているというか、求めていない。

無気力でいることが本当は一番自然で、楽で、自分に合っているのかもしれない。

とくに話はまとまらなかったが、こういう日もあるだろう。

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