田中角栄の高等戦略
◉偽史研究者の原田実先生が、興味深いポストを、X(旧Twitter)でされていました。田中角栄と漢詩と教養についての内容なのですが。自分はこの話、もうちょっと別の視点で政治家・田中角栄の強かな戦略を論じてみたいかな、と。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、田中角栄のイラストです。
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■言必信・行必果■
この、田中角栄の訪中は、彼の無教養さを示すエピソードとして、よく語られます。周恩来との会談でも、「言必信行必果」と書かれた色紙を送られ、それが間接的にバカにしてるのに気づかなかった、というエピソードでも知られます。「言、必ず信あり、行いは必ず果たす」という言葉は、一見するとヨサゲな言葉なのですが。これは論語に出てくる言葉で、孔子に弟子の子貢が、どんな人間が士(大夫と呼ばれる貴族階級に使える家臣)と言えるかと質問したところ、「己を行うに恥じ有り、四方に使いして、君命を辱ずかしめざる士と謂うべし。」と答えています。
では次に士と呼べるのはと、セカンドベストを聞かれ、「宗族は考を称す。郷党は弟を称す。」と答えています。さらにサードベストを聞かれ「言必ず信。行い必ず果、經々然として小人なる哉。そもそも亦以って次と為すべし。」と答えたわけで。小人、つまり取るに足らない人物の評価。つまり周恩来は、一見すると褒めてるようで最上級じゃないよと、田中角栄をバカにしているわけです。古文漢文なんて教師の雇用のためだけにあるので、廃止すべしとほざいた、どこかの論破され王がいますが。彼とか、強かな中国人と交渉したら、いいようにあしらわれて、バカにされ、ビジネスではケツの毛まで抜かれますね。古文漢文の教養って大事です。
吉田茂総理以来の自民党のブレーンで、易学者で漢籍に通じた安岡正篤は周恩来の意図を見抜いて激怒、帰国した時に外務大臣だった大平正芳氏に苦言を呈したとか。一橋大学出で官僚でもあったインテリの大平氏なら、それぐらいの悪意を見抜けんとは……と嘆いたわけで。小学生から四書の素読をしていた、漢籍に通じた安岡正篤ら戦前の教養人からしたら、無教養を笑われて、悔しかったでしょうね。森鷗外とか、ドイツ留学した医者であり、同時に歴代天皇の漢風諡号が漢籍のどこから出たかを検証した『帝諡考』という労作を残すほど、漢籍の教養が半端ないですからね。それが教養。
■窮鳥懐に入れば■
しかし、逆に言えば安岡正篤や中国学者の宇野精一が居たのに、なぜ田中角栄は彼らにこっそり代作を頼まなかったのか? 政治家の答弁書でさえ、官僚が代筆するものですし、いわんや国交回復の大きな会談。そこそこの漢詩をゴーストライターとして書こうって漢学者や漢詩人は、いたでしょう。でも、そういう下手くそな漢詩をあえて見せることで、隙を見せることで、相手が安心するってことを、本能的に知ってる政治家だったのだろうと思います。道化師を買って出て、笑われるのを厭わない。知性信仰がある左翼には、コレが出来ない。
竹田青嗣先生が以前、別冊宝島で朝まで生テレビの文化人を評して、共産党や社会党は知性信仰があって、論客を選んでいるが。公明党は、人の良さそうな人をわざと選んでるのではないかと、推測されていました。人間は、雄弁な人間を警戒します。暇空茜氏みたいなタイプが、急流の岩のように警戒される理由です。この人は有能だが怖いと思われるようでは、政治家としての人望は得られません。むしろ公明党は、不器用だが相手の発言を一生懸命聞き、誠実に応えようとする人物を選んで送り込む──これは高等戦略ではないかと、竹田青嗣先生。
窮鳥懐に入れば猟師も殺さず、を実践した田中角栄。もちろん、本人は窮鳥というより道化師なんですが。恐ろしく切れ者の道化師。そして、大学を出ておらず学歴コンプレックスがあった毛沢東と田中角栄、あんがい馬が合ったようで。両方とも父親が馬喰だったからではと、栗本慎一郎氏。馬喰というのは運輸業で、別の村落共同体を横断して商売する、ある種のマレビト的な存在です。重宝もされれば、外部から疫病を持ち込む存在として、嫌われもする。そんな中で、身の処し方に才覚が問われるので。また近江商人の三方よしの思想みたいな、融和力も求められるので。
■小学校高等科卒■
その田中角栄が、史上最年少の大蔵大臣になったとき、官僚の中の官僚である大蔵省の役人共が、不満に思ったわけです。俺達は東大法学部を出て官僚になったのに、小学校しか出ていない田舎の土建屋のオッサンが大臣とは、納得いかんと。そこで、歓迎会のふりをして招待し、難しい質問で恥をかかせてやろうと画策。陰湿ですねぇ。なのに田中角栄、いきなり演説を打ってみせた。
最終学歴が小学校卒という、異形の学歴を示しつつ、「赤門以外は大学とは言わんよ」の大蔵官僚どものプライドを「日本中の秀才中の秀才代表」と立ててくすぐりつつ、この人は自分の話を真剣に聞いてくれるかも……と、信頼も得る。実際、優秀な若手の中には、志を持って官僚になったのに、なかなか意見が通らないことに不満を持っている人間もいるわけです。それが、上司の許可無く直接大臣に話せる。角栄がその歓迎会を去るとき、大蔵官僚たちが思わずスタンディング・オベーションで送ってしまったと。
実際、試しに大臣室に行ってみたら、本当に話を聞いてくれる。良い意見なら積極的に採用してくれる。社会党の石橋政嗣委員長はかつて、角栄を信頼できる政治家として挙げています。彼とは二人だけで話ができ、その内容が外に漏れなかった、と。たぶん、若手官僚から聞いた話も、外部には漏らさなかったでしょう。こうなると、むしろ最終学歴が小学校卒という人物に比較して、東大卒を誇る自分が恥ずかしくなる。政治家という器は、そんなもんじゃないと気づく。時に、倒閣にさえ走る大蔵・財務官僚を手なづけた、唯一の宰相でしょうね。
■人文学は人間学■
個人的には、金権政治の人物だったのは間違いないですし、清廉潔白とは言えない人だったと思います。毀誉褒貶あり、功罪相半ばする人物だとも思います。ですが、菅直人氏とか福島瑞穂氏らに感じる、綺麗事ばかりで実のない人間的な薄っぺらさとは対極の、魅力的な人物だとも思います。彼は、小学校高等科卒という学歴で、むしろ東大法学部という学歴を、一笑に付してみせた。むしろ中央大学文学部教育学科心理学コースみたいな学歴では、却って邪魔になったでしょう。でも、けして学問を否定していたわけでなく、「部下よりも猛烈な努力をして、部下よりも博識でなければ組織は動かせないのです。」という言葉も残していますから。
学歴って、実際はどこそこ大学を卒業したって学問の経歴よりも、そこで得た人脈がデカいんですよね。母校の渋谷腐れナンパ大学は、今でも好きになれない大学ですが、そこで出会った先輩後輩は実に得難い人々で。実は、青学でもトップクラスに金持ちがいました。でも、金そのものよりも、彼らが持っている人脈の豊富さと、そこの信頼感が大きいわけです。慶応とかの人脈も同じでしょう。でもそれがなかった田中角栄は、東大法学部卒の官僚にも負けない知識を持ち、簡単には舐められないだけのものを、用意したわけで。やらなくてもいい苦労はしない方が良い、というのは苦労人の言葉として重いです。
また、田中角栄は大蔵官僚の名前と生年月日はもちろん、妻子の生年月日も覚えていて、誕生日には贈り物をしたと。ここらへんは、星野仙一監督が選手の奥さんの誕生日を覚えていて、花とお礼の手紙を送ったという逸話を思い出します。星野さんも毀誉褒貶ありましたが、ただの恐怖政治では部下はついてこなかったわけで。日本的な気配り心配りですが、それを論破され王のように軽視して良いのか、自分は疑問ですので。けっきょく、文系の学問は文学も法学も史学も音楽も美術も、人間学なんですよ。そして、人間学のテキストとして、『孫子』や『十八史略』ほど優れたテキストは、なかなかない。そんなことを、考えます。
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