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「こうあるべき」をゆるめる、私なりの方法


久しぶりに下書きを見返していたら超大作があった。

見つけたのも何かの縁なので、供養させていただこう。


確かこれを書いていた頃は、自分らしく生きるためにやってきたことを振り返って書いていた記憶がちょっとだけある。

このnoteは、連載にしようと企んでいたが納得いくものが書けずそれっきりになっていたものの一部である。



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思考を変えるというテーマで書き始めたのだけど、いろいろやりすぎてうまくまとめられない。

日々書いては消し、書いては消しを繰り返し、下書きだけが順調に増えている。


環境も変えたし、自己啓発やら心理学やらいろんな本も読んだし、ネットの情報もめちゃくちゃ漁った。セミナーを受けてみたこともあるし、動画もよく観た。

「お金と自由な時間があればいいのかも…!」と思ってアフィリエイトをやってみたこともある。まあ失敗したけど、今はそれでよかったと思っている。


こんな風にさんざんいろいろやってきたけれど、まとめると「自分を知ること」「思い込みを外すこと」、そして「自分を表現すること」に固執したのではないかなと思う。


もやもやとしてとらえどころがなかった自分のかたちを、様々な方法で見つけ出す作業を延々と繰り返していった結果が今の私なのだ。



自分を知ること

これは初めにやったことでもあり、今でも続けていることでもある。


極端な言い方になるけれど、私は自分のことが全然分からなかった。好きなものとか嫌いなものを聞かれても答えられなかった。

厳密に言うと「自分が持っているものが答えてもいいものなのかが分からなかった」のだけれど、それに気づくのは後々の話。


分からなかったので、まずは自分を知るところから始めた。

自己啓発本でもよくあるが、自分の好きなものをリストアップする。20個くらいでいい。

この時、好きなものならなんでも大丈夫。コンビニのメロンパンでもいいし、日向ぼっこでもいい。好きならば物ではなく人や場所、においなどでもいい。誰にも見せなくていいから、自分に正直に書く。


最初は意外に書けないけれど、やっていくうちに書けるようになるので何回もやってみてほしい。


その次は、嫌いなものをリストアップする。これはあまり気持ちのいい作業ではないが、まぁ書く。きっと好きなものをリストアップする作業よりも簡単に書ける人が多いと思う。



リストアップすると何が起きるかと言うと、自分の中にある好き嫌いを整理して再認識できる。そしてこれを繰り返すことで自分だけの判断基準ができていく。


判断基準ができると、何かを選ぶときに指針となってくれる。

今まで流行や周りに合わせてなんとなく選んでいたものを、「好き」という明確な基準で選択できるようになる。


すると、自分の周囲に好きなものがだんだん増えて、嫌いなものはだんだん少なくなるか上手に回避できるようになってくる。

この状態になると、好きなものに囲まれるのでちょっとだけ生きやすくなる。



それから、自分の理想の人生について考えてみる。

これも自己啓発本によくある項目だが、これのいいところは未来の目標を定められることだ。どこに行きたいかがぼんやり見えていれば、あとはそこに向かって走るだけで済み、迷うことも少なくなる。



ルーティンで過ごしている日々を一旦脇において、「どういう人生だったらいいかな?」と考えて紙に書いてみる。


この時に重要なのは、実現可能かどうかを考慮しないことだ。


できそうかできなさそうかを考えると縮こまった考えしか出てこなくなってしまうので、一旦置いておく。



単なる「理想」なので、何を書いてもいい。

月収100万とか、フィンランドに住んでいるとか、年4回海外旅行とか、そういうことを書いていい。思うのも書くのも自由である。



理想を書いたら次はどうしたらできそうか考えてみよう、と続く自己啓発本が多い。できそうなことからやってみるのが理想を実現する近道だからだ。

しかし、私はここでたいてい挫折する。それでも理想を書き続けることは無意味ではない。


なぜなら、自分が抱いた理想を実現する情報が目に入るようになるからだ。

脳は自分が必要とする情報を優先してインプットしていくので、自分が欲しい!と思えば簡単にキャッチできるようになるのだ。


具体的に何が起きるかと言うと、今までスルーしていたジャンルの本や広告などが、急に目に飛び込んでくる。目的もなくだらだら見ていたSNSが、急に理想へのヒントを提供してくれるようになる。


だから、書いた理想を叶えるための情報をもし今持っていなかったとしてもまったく問題ない。



今あげた方法たちは、無意識に眠っているやりたいことや好きなことを意識上に引き上げる作業だ。


無意識にあるうちは、たとえそれがどんな素晴らしいものであっても自覚できない。自覚できないものは「ないもの」として扱われるので、いつまでも自分がわからないままだ。

意識上に持ってくることで少しずつ自分のかたちが鮮明になってくる。

そのとっかかりとして、比較的自分で認識しやすい「好き嫌い」、「理想」をリストアップすることが効果的なのだ。


半信半疑でいいから、何回か試してみてほしい。



思い込みを外す


次にやったことはこれなのだけど、本当は好き嫌いを探すよりも先にやった方がいいかもしれない。自分を知ることと思い込みを外すことは相互に作用しているからだ。


さて、実際にどうやって思い込みを外すか。

まずとりかかったのは、「~べき」や「~しなければならない」と言ったり思ったりするのをやめること。


「~べき」という言葉の中には、「(本当はやりたくないけれど)~べき」という義務の感情が含まれている。かっこの中が本音。意志に反したことを自らに強制しているから、ものすごく苦しくて当然だ。


そして、自分への義務の言葉をやめる代わりに、「~してもいいし、しなくてもいい」と言葉を置き換える。


こう置き換えると、強制していた事柄に自分の意志で選ぶ許可が下りる。そして、自分に選択肢を与えるとかっこの中に隠れていた本音がそっと出てくる。



私の例で言うと、それまでは会社に行きたくなくても「行くべきだ!」とひたすらムチ打っていたが、「会社に行ってもいいし、行かなくてもいいよ」と心の中で自分に言うようにした。

そうしたら、「行きたくないけど…でも今日は仕事量多いから行くわぁ」とか、「でもまぁみんないるし、始まったら一瞬だから行くわ」とか言い始めた。

もちろん「そっかぁ、なんか体だるいし仕事ちょっと少なそうやし休む!」って思ったときもある。


ここで大事なのは、自分の意志で決断しているということだ。


選択肢があるのとないのとでは、まったく自由度が違う。自分で決断したことならストレスはたまりにくい。強制されているからしんどいのだ。


例えば、喫茶店に行ってコーヒーか紅茶で迷ってコーヒーを選ぶのと、コーヒーしかなくて仕方なくコーヒーを選ぶのとでは、自由度が違うことが分かると思う。


どんな小さなことでも、自分の意志があると気づくことが大切だ。

自分の意志なんて何もない、と思ってしまいがちだし私もずっとそう思っていたけれど、「~べき」の鎖には自分の意志がちゃんと隠れている。




「~べき」を見つけた時に言葉を置き換える話をしてきたけれど、やることはもう一つある。


それは、「~べき」と強制してくる人物は誰かを考えること。


自分に強制を強いている諸悪の根源をつきとめるのである。



誰にそんなことを言われたのかを冷静に考える。

これを考え始めると面白いことに気付くのだけれど、たいていの場合は強制しているのは自分自身で周囲は誰も強制などしていない。



私の場合は、以前接客の仕事をしていた時に「にこやかで明るくふるまう」が当然だと思っていたのだけれど、不愛想なスタッフも普通にいた。

はじめのうちは「接客業なのにそんなこと許されるの!?」と憤慨したものだが、そのうちに私の「にこやかで明るくふるまう接客」が思い込みだったことに気付いた。

別にそうしなくても接客は成り立つのに、「そうしなければならない」と勝手に自分で思っていたのだった。

そして、別にそうしなくていいならそうしたい、と思っている自分もいることに気付いた。私が不愛想な他のスタッフをみて憤慨したのは、その人が私のやりたいことをやっていたからである。



強制しているのが自分自身だけだと気付いた時、愕然とした。今までやっていたことは何だったんだろうと思ったが、これをきっかけに「~べき」をゆるめることができた。


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ここまで書いて当時の私は力尽きたようだ。

もしなにかの参考になったら嬉しい限り。

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