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適応障害〜休職中のあれこれ②

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適応障害発症から1ヶ月、
2022年6月あたりからのお話

〜仲間に救われる〜

義妹夫婦の結婚式に無事参列したのち、
再び家での引きこもり生活に戻る。

ちなみにこの一年の85%くらいは引きこもり生活である。


幸いにもそんな引きこもり君にも、友人の結婚式の招待状が2件も届く。

6月下旬と7月中旬。

まあなんともご祝儀貧乏になりそうな予定だが、
これ幸いと出席で返事を出した。

ただ同時に、体調が良くなければドタキャンで出席出来ないだろうとも思っており、
やっぱり欠席の連絡を早めにしようか悩んでいた。

6月は大学の友人の結婚式だった。

大学の友人の結婚式となると、同業者(体育の教師)が必ず来ることはわかっていた。
隣県だし、良く練習試合もするし、お互い別の先生経由で話を聞いたりすることもあるので、わたしが適応障害で休職中のことは会っても言うか言うまいか、ものすごく悩んだ。

結果的にドタキャンは失礼と思い、なんとか結婚式は出席した。
会場では頭がぼんやりとしていたが、久々に外出もできる良い機会だとばかりに思っていた。

会場に到着し、次々と仲間が集まってくる中、同業者の同期も現れた。
その同期は、最初は特にわたしの話題に触れなかったが、30分くらい経ったところで、「そういえばお前、体罰で部活謹慎してるっちゃろ」と得意の福岡弁でおどけて切り出した。

ドキッとはしたが、自分からはなかなか言えないので、同時にホッとした部分もあった。
なので、「いやいや話が捻じ曲がりすぎてるから、説明するわ」といって、適応障害発症の経緯を説明した。
同期、後輩合わせて6人くらいだったと思うが、やっぱり学生時代の仲間とはいいもので、
当時のようにおちゃらけながら話を受け止めてくれた。
こちらも変にその場を深刻な空気にしたくないし、お酒を飲んでいたのもあったか、誰かに話したかったのか、饒舌に話をしていたのだと思う。

ただし、この日お酒を飲んだことによって、帰り道でiPhoneを床に叩きつけ、買い替えなければならないほど破損させたこと、妻に車で迎えに来てもらった挙句とんでもない気の落ち込みを見せ、しまいには次の日「サイフがない」と言い出し、妻にとって人生最悪の日にしてしまったことは本当に反省している(しかもサイフは車の助手席のダッシュボード上にあるという凡ミス)。



この6月の結婚式から数日、今度は小学生からの幼馴染から、2人で飲みに行こうと連絡があった。
その幼馴染は腐れ縁で、社会人になってからもたまに2人で飲みに行くような間柄。
(後に彼の結婚式でハワイに行くこととなる。)

これもまた良い機会と、二つ返事で返答し、2人で久々に飲み歩いた。
2人でいつも話すのは、仕事の話が大半。
その幼馴染は超大手洋服会社の本社社員。
他業種同士の話はお互いに面白く、何回飲みに行っても話は尽きない。
ただ、この時はさすがにわたしのうつトークで持ちきりだった。
7月にも結婚式の予定があるが、この結婚式は共通の幼馴染の結婚式なので、また7月に地元で飲もうと約束し、その日は終わった。

6月中、仲間に自分の状況を話すことが出来たのは良かった。
誰か話を聞いてくれるというのは、必要なのかもしれない。
もちろんカウンセリングを受けるのも良いと思う。
ただ、わたしにとっては、学生時代の他愛もないやり取りを今でも続けられる仲間に茶化してもらうくらいがちょうど良かったのかもしれない。


持つべきものは友。

次回はその7月の結婚式と、自分の親との話をしよう。

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