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適応障害〜休職中のあれこれ①

2022年4月末に適応障害と診断を受けた私は、翌日から休職することとなった。

各方面への連絡をしなければならなかったのが最も辛かった。

学校となると、校長や教頭の管理職だけでなく、所属の教科と学年、校務分掌で割り当てられている部署、部活動について、事務関係もそれぞれ各所に連絡をしなければならない。

また、わたしは高体連やその競技の県協会、選抜チームや国体チームなども携わっていたため、とにかくたくさんの人に連絡しなければならないのが本当に辛かったため、まともに連絡や引き継ぎが出来ずに大迷惑をかけてしまった人たちもたくさんいた。

ただ、正直に連絡をするのも考えるだけで動悸やめまいなんかも感じたし、拒絶反応みたいのが出てしまった。

今考えればそれこそ症状が出ていたと思えるのだが、当時の自分はメールを開くことも出来なかった。
今でも電話やメールは恐怖心がある。

この時期の症状を詳しく思い出してみる。
①脱力感
②動悸息切れ
③めまい
④頭痛
⑤不眠
⑥金縛り

こんなところだろうか。

診断を受けてから、1ヶ月くらいでなんとかなるかな、という程度にしか考えていなかった。
脱力感やめまいは、数週間で良くなっていったが、不眠、金縛りがなおらなかった。
また、外出もそのころできるようにはなっていたが、職場や最寄駅に近づくことがいまだに出来ない。

5月の中旬に、妻の妹の結婚式があり、北海道に行く予定があった。
無事参加できるか直前になるまでわからなかったが、なんとか参加させてもらった。
とっても気を使わせてしまったと思う。

この頃から、その場を楽しむことは出来た。

もともと人前では、気を遣うタイプの人間であるがゆえか、義両親の前でも明るく振る舞おうとしていたように思う。義両親も、妹夫婦も、わたしを特別に扱うことなく、自然に接してくれたことに本当に感謝している。

もちろん、主役の2人(今後この2人については詳しく別の記事を書こうと思う)を祝福できてわたし自身も嬉しかったし、パーティーもとても楽しめたので、わたしにとっても良い思い出になった。

ただ、「仕事を休んでいる身分」で、飛行機に乗って結婚式に参列し、酒を飲んで楽しんでいる、という構図で自分を見てしまい、複雑な気持ちになっていたことも事実。

抑うつ状態が激しいと、こんなにもネガティブな考えになるのかと今更ながら思っている。

ちなみに、その後の6月、7月と続けて結婚式に参列することになる。

それはまた後日とし、本日はここまで。

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