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適応障害〜休職中のあれこれ16

かなり間が空いてしまった。
自分のペースで書き書きすること大切に。

前回の続き

北アルプスの女王「燕岳」での極寒のテント泊を終え、名残惜しくも下界に戻らなければならなくなった話。

燕岳でのテント泊の体験は、私の人生を変えた山行だったと言っても過言ではない?


これまで、登山は「筑波山」「高尾山」「雲取山」あとは札幌の「藻岩山」くらいで、

まだまだ経験値の少なかった私だが、
うつうつとした日々を打開したい気持ちが高かった時期だったからか、

とにかく一気にステップアップしてでも、これまでの自分を壊せるような衝撃体験を求めていた。

燕岳での一夜は、確実に「衝撃体験」だったわけだが(前回の記事参照)、

登山の一番大切な場面は「下山」だと考えている。

なぜなら、「生きて帰る」ことが登山の一番の目的と言ってふさわしいからである。

燕岳で体験したことは、これまでの人生でNo.1の体験だったことは間違いない。

アメージング。マーベラス。アンビリーバボー。

そんな表現になる。

でも、その「非日常」を体験した自分が生まれ変われる場所は結局「日常」なのであって、

3000mの「非日常」から、海抜数mの「日常」まで生きて帰ってきて初めて、
その「非日常」の体験が発揮されるはずなのである。

さあ、これから大事な下山を始めるぞ、

なんてことは頭に浮かぶことなく燕山荘のテント場を立ち去った。

燕岳は北アルプス入門におすすめされるような山だが、

急登のルートである。

つまり下山は急な下りなわけで、

うつ病寝逃げネトフリ廃人と化していた私の全体重+10kg以上の荷物の重さが、

全て私のかわいい両膝にのしかかってくるのだ。

こいつがもう、どうしようもないほど膝をいじめてくるわけで、

うつ患者は「散歩しましょう」と言われるのが通例だが、

まったく散歩してこなかったワタシの膝は小鹿よりも震えながら、

じっくり時間をかけて下山することになった。


自分の体力の変化を痛感すると同時に、これまでの自分が積み上げてきたものについて考えながら足を進めていた。


ワタシは子どもの頃から恵まれた環境で育ったとは思うが、どこか自分にコンプレックスを感じていたのではないかと思う。

運動をやってもうまくいかず、勉強をやっても父や姉に勝てると思えず、

スラムダンクの影響でバスケットボールを小学校五年生で始めたのがきっかけで、
バスケットボールの指導者も経験したわけだが、

正直トップの成績は残したことはない。

自分ではやっぱりスラムダンクの世界観に憧れがあったのだろう、

「全国制覇」を口ぐせにしたいと常に思っていた。

だがしかし、中学も高校もおこぼれ・お情けで試合に出るにとどまる、

大学時代はベンチにも入ることができず、それでも何か残したいと思って無理やり大学4年で2軍学生コーチをやり、無茶苦茶やって後輩たちには迷惑かけました。

そんな自分に対するコンプレックスを拭いきれないまま社会人になり、

なんとなく就職した会社も半年で辞め、

やっぱバスケに関わりたい、というわがままで教員に無理やり転職し、

その教員をたった10年やっただけで今度は適応障害になるとは。


これまで自分が積み上げてきた「ガラスの夢」が、いつの間にか、


誰かにツンツン、ってされたわけでもないのに、


あっさり砕け散った。


下山しながらそんなことを考えていた。


松山千春は、「君を忘れない」という曲でこう言っている。

”君は 砕けちった夢のかけら ひとつひとつ
小さなその手で集め
「いいさ、やり直す」と 笑っていた君の頬に
溢れる涙を見たよ”

まさにワタシの人生を表していたんだなあ、としみじみ思ってしまった。

サビで、ちはるはこう歌う。

"「どうして、生きているの?」 君は僕に 訊ねたけど
答えを急ぐことはない やがてわかるから"


まさにワタシが聞きたいことだ。
どうして生きているんだ?
自分は生きていていいのか?
生きることに意味はあるのか?

生きることが辛くなっていたワタシ。

生きる意味を見失っていたワタシ。

答えを急ぐことはない?
いつかわかる?

疑問に思いながらも、自ら命を絶つ勇気もなく、ただただ山奥へ逃避行したい一心だった。

そんな逃避行も、もう終わる。

そんなことを考えながら、膝の痛みと闘い、命からがら登山口へと帰還した。

車を開け、荷物をガサっと降ろし、汚れた靴を履き替えて、運転席に座り、しばらく動けなかった。


ああ、生きて帰ってきた。



そっか
わたしまだ生きてるのか

これからどうするかな

まだお仕事の事には向き合えないな

これからの人生どうしよっかな

みんな元気かな

自分には何が向いてるのかな

ローンの返済どうすればいいかな

これからできる仕事って何があるのかな



しばらく駐車場で身体を休めながら問い問答をして、下道で自宅まで帰りましたとさ。


[燕岳の下見編-完-]


次回、

①アウトドアショップとワタシ
②適応障害発症年の年末年始〜両親と義両親と義妹夫婦とワタシ〜
③妻、YouTuberになる

の3本立てでお送りいたします、ジャンケンポン

の流れで今回は以上。

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