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適応障害〜休職中のあれこれ11〜
前回の続き
適応障害で休職中の私が、
「休職中にひとりでアウトドアで遊んでばっかりなんて、けしからん」
と世間からのバッシングを受けるのではないかと恐怖に怯えながら、
足りない頭を絞り切って考え抜いた作戦、
「妻と一緒にアウトドアを楽しむ円満な夫婦作戦」
休職し始めてから約半年が経ったころ、私はこの作戦を決行し、
虫も触れない箱入り娘の妻を登山に引っ張り出すことに成功した。
これ幸いと調子に乗った私だが、妻と登山に行けるのはせいぜい月に1〜2回。
バリキャリの妻はやはり忙しく、土日に仕事が入ることも多い。
それに元来妻は、これでもか!というほど土日は睡眠に時間を費やす人で、土日の平均起床時間は15時と言っても過言ではない。
だがしかし、「山は朝」という言葉があるくらい、登山に行くには早朝もしくは深夜に起きる必要があるのだった。
したがって、私が妻と登山に行ける最低条件は
①妻の金曜の仕事がゆるいこと
②妻の月曜の仕事がゆるいこと
③妻の体調がベストであること(普通ではダメ)
④晴れていること
となる。
こんな条件が揃うことは、ごく稀である。
このころの私はというと、自転車旅もできたのだから、もう寛解に近いのだろうと思うだろうが、
実はまだ抑うつ症状も強く、スイッチが入らないと全然動かないし、ぐるぐる思考も止まらない。
少しずつ家事もやるようにはなってきてはいたが、
日中ずっと動いているということはなかった。
そんな状況ながらも、自分としては
「そこから少しでも進歩できたらなあ」
という想いと、
「でも頑張らないほうが心にはいいんだけどなあ」
という想いの、
小さなコンフリクトと闘っていた。
そもそも山に行くことで、自分の心を癒したい、という魂胆があっての妻を巻き込む作戦だったのだが、
なかなか機会が少ないことに焦ったのか、
「ええいもういいや、平日に一人で山に行ってこよ。」
と開き直って、山にテント泊をしに行くことにした。
とまあスイッチが入った私はまず情報収集を迅速に進めるもので、
どんな山なら今の自分の状況で行くことができるのか、
Webサイト、YouTube、YAMAPなどを駆使して、
まず最初の一座を東京都最高峰の『雲取山』と決めた。
道具については、自転車の旅で使用したものをバックパックに詰めるだけ。
およそ重さ12kgほど(テント、寝袋、調理器具、着替え、食料、水全て含む)を背負って雲取山に向かった。
出発は深夜。
この頃、車を一人で運転していると、森山直太朗の曲を延々とリピートして聞いていたのだが、
深夜に森山直太朗は自然と涙が流れてくるものである。
うつ症状を経験した方はわかる人もいるかもしれないが、
勝手に涙が流れてくる
という状況に、森山直太朗のブーストがかかっている感じである。
深夜の奥多摩を一人で森山直太朗を聴きながら、涙をながし、雲取山の入り口の駐車場へ向かった。
フロントガラスよりも、私の目にワイパーをかけたい。
でないと、真っ暗闇の、うねうねしたワインディングロードなので事故る。
無事に駐車場に辿り着き、車内で寝袋に入りながら夜明けを待つ。
夜月が美しい。
さわやかな朝を迎え、車内で荷物をザックに詰め込んで登山を開始した。
ただでさえ、体育の教員をまともにやっていた頃よりも太った身体に、プラス12kgの重さが膝にのしかかる。
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なんでこんな辛い想いをして山に登っているんだろう、
そんなことを想いながら、ひたすらに山頂を目指して、一歩一歩進んでいく。
登山は、平地の歩行のテンポで歩くと、確実にすぐにバテてダメになる。
平地を歩く時よりも、ゆっくりペースで、一歩一歩踏みしめながら、心拍数が上がらないように歩くことが大切。
まさに、私の人生を写しているかのよう。
今までの自分は、平地だと思って歩いてたら道が、実はとんでもない山だったのかもしれない。
周りのみんなが都会の電車の乗り換えの時みたいなスピードでその山を登っていくものだから、自分もそのペースで登るのが当然だ、ついていかないと恥だ、くらいで歩いてたんだと思う。
でも、そのペースは自分の体力には全くあってなかったのかもしれない。
自分はそんなペースで歩ける人間ではなくて、もっとゆっくり、乗り換えの電車も3本くらい逃しちゃってもいいじゃんか、くらいのペースがきっと合っていたんだと思う。
そりゃそうさ、わたしの地元の電車なんて、1時間に4本なんだから。
合うわけなかったのさ。
なんてなことを考えながら登ってると、意外とあっという間に山頂に着いた。
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雲取山荘にて、テント場の受付を済ませて、あとはテントを張ってゆっくり過ごす。
山の中で、「何もしない」時間が至高である。
静寂に包まれる。
冷たい風がほほをこすっていく。
鹿の甲高い鳴き声が聞こえる。
日が暮れてだんだん暗くなっていく。
そんな何気ないものを、テントの中での転がりながら感じることができる。
「休職中の身で、自分の投げ出した仕事を他の先生たちに押し付けといて、わたしはなんて至高の贅沢を味わっているんだろう。。。」
なんていう背徳感は不思議と感じなかった。
「今までの人生で、なんでこういう贅沢をしてこなかったんだろう。」
そんな、後悔の念のほうが断然強かった。
そう、今までの自分に必要だったことは、こういう経験だったんだ。
自分に合った場所で、自分の心拍数に合わせたスピードで、自分の体感温度に合った環境で、自分のための時間を生きる。
ようやく知ることができた。
自分はこういう場所が合ってるんだろう。
競争したり、成長を求めたり、、、
「頑張らなきゃいけない環境」に身を置くんじゃダメだ。
「ありのままの自分が、遊んでいられる環境」に身を置く必要があるんだ。
多くを求めず、
寒さも、暑さも、匂いも、日差しも、雨も、泥も、虫も、熊も、
まわりのすべてを受け入れてあげて、
そこに自分の身を置く。
変に何かに気を遣ったりしないで、
「ただそこに存在することだけ」を求める。
それでいいんだ、と雲取山のテント泊はわたしに教えてくれたのだった。
わたしのうつ症状との闘いは終わらないが、
わたしの思考は確実に現状を受け入れることができるようになってきていることを感じた山行だった。
続く。