
適応障害〜休職中のあれこれ13〜
前回の続き
妻の希望で予約困難なキャンプ場のサイト枠を見事ラッキーパンチでゲットできた我々夫婦は最高のキャンプを堪能した。
妻への感謝の気持ちと、まだまだ復職への気持ちを持てない不甲斐なさや申し訳なさ、この両輪がこのころの私の種であった。
それを少しでもゴマカすための「人類アルプスに行けば大丈夫計画」。
今回はその話。
ふもとっぱらキャンプ場という、富士山ドーーーン!のキャンプ場は本当に素晴らしかった。
やはり富士山は人の心を魅了するなにか黄金比的なものをもっているのではないか。
うつうつとした人ほど、富士山を見た時の感情の動きといったら、もう大変なのだろう。それこそ、自然と勝手に涙が出る。
さて、キャンプを終えてまた自宅警備員として毎日活動していた私はやはり抑うつ症状者なりの日常を取り戻してしまっていた。
・とにかく寝る
・起きている時間はとにかくネトフリアマプラヨウツベにすがる
・髪も伸び放題
・髭も伸び放題
こんな感じである。
2022年の4月末に適応障害を発症、休職が始まり、2022年10月末に差し掛かろうとさていた。
半年以上経ってしまった。
自分はこのままでいいんだろうか。
いつまでこんな生活(とても生活とは言えないが)続けているんだろうか。
こんな気持ちになるのが常だ。
そうなると、当然自分の存在価値というのは感じていないわけで、希死念慮も当然ある。
教員だった私が休職中に生徒たちや他の先生方のことを全く考えずに日々を過ごせたかというと、、全くもってNOだ。
ありえない。一人一人の顔が浮かんでくるに決まっているのだ。
だって、毎日のように教員として関わる生徒たちや先生方のために一挙手一投足を注いできたのだから。
わたしは生徒たちからどう思われてるんだろう。
生徒たちは、いまのわたしがどんな状況なのか、どのように伝えられているのだろう。
彼の進路は結局どうなったのだろう。
学年の先生方(特に初担任の先生とか)どんな様子だろう。
あの子は親御さんとちゃんとわかりあえたかな。
あいつは部活頑張れてるかな。
そんなことが毎日頭をよぎっていた。
そうそう、私が休職中、職場(学校)とのやりとりが、私は直接自分で連絡をとったりすることができなかった。
物理的に学校に近づくこともできなかったし、メールや電話も当然できなかった。
すべて、妻が代行してくれていた。
結果的に妻は、今流行りの「退職代行サービス」を無償で請け負ってくれていた。
わたしは別に学校に対して強烈な恨み妬みなどがあるわけじゃないし、嫌いだから連絡とりたくない、とかではなかった。
ただただ、「連絡を取る」という行為ができなかった。いまだにそうだ。
そしてこのころ、大学の同期や、教え子のOBなど複数にからLINEで連絡がきていたのだが、そういった連絡も返信することができなかった。
LINEはメッセージが届いたら中身も見ずに即削除した。
今思えば、誰から連絡きたかくらいはわかるようにのこしておけばよかったと思うが、当時のわたしは直視することができなかったのだろう。
そんな状態で半年が過ぎ、まだまだ社会復帰には程遠い状態のわたしの心を射止めたのは、
北アルプスの『燕岳(つばくろだけ)』だ。
燕岳は『北アルプスの女王』と呼ばれ、
北アルプス登山の入門に薦められる山である。
美しい風景、そして豪華な山小屋が魅力
そんな情報は登山系のYouTubeをちょちょっと調べればすぐにわかる。
その燕岳は11月に入ると雪化粧で、雪山装備(アイゼンやピッケル、雪山用の靴など系20万円ほどする)が必要となってしまう。
したがって、どうにかこうにか10月中になんとか行けないものかと考え始めた。
妻はまだ一度の登山で、道具も揃い切っていないこともあるし、もちろんまだ山の上で寝泊まりするなんて、とてつもない高いハードルだ。
よって、わたし1人でとにかく「下見に行ってくる」と妻を説得し、10月末のテント場の予約を入れた(正しくは、予約を先にとってから妻に話した)。
さて、燕岳山行前夜、当然のことながら私はいつもは寝たきり状態のくせに、こんな時だけは修学旅行前日さながらの緊張感で準備を始める。
カバンに、寝袋、テント、マット、ダウンコート(友人からもらった某大手アパレルのロングダウンコート)、火器、食器、着替え、救急袋、などなどをパンパンに詰め込んだ。
仕事を休んでいるのに、遊びには行けるとか、非常識だ。
という声が聞こえてきそうな状況である。
それでも、私は自分に都合よく「これも治療の一環だ」と言い聞かせて車を走らせた。
長野県安曇野市に登山口はある。
夜中の登山口に向かう。
集落もなく、当然街灯もない。
真っ暗闇にひとり突っ込んでいくことに恐怖心が高まっていく。
「1人で何してんだろう」という虚しさも込み上げてくる。
それでも、もう走り出した車は止まらないので、闇夜のうねうねの山道で脱輪の恐怖に怯えながらも進んで行った。
登山口の駐車場につくと、多くの車がすでに停まっているではないか!!
なんとかラスト1枠、登山口に近い駐車場に、停めることができた。
車から出て、空を見上げるとそこには満点の星空である。
満天よりも、満点。
まだ山にも登っていないのに、自然と涙がこぼれた。
翌日の山行に備えて、狭い車内ながらもなるべく快眠できるように支度をする。
まあ快眠なんて適応障害やうつ病の方には程遠いものだと思うが。
できる限り体力を温存できるように、なるべくフラットに近い状況で、なるべくぬくぬくした環境をなんとかして作り出し、
踊るココロを手で押さえながら、デエビゴ(睡眠導入剤)をキメて眠りについた。
当然、周りの車のエンジン音や登山の準備をしている音が気になって半眠りくらいで金縛りだったが、
だんだんと空が明るくなり、日が射し始めた。
これから人生の夜明けがくる。
きっとこの北アルプスの女王も、わたしを受け入れてくれると信じて。
仕事を休んで山にきているような不届ものでも、「命」の価値を感じることを許してくれる、そう信じて。
さあ、「人類アルプスにいけばみんな大丈夫計画」を始めよう。
次回
北アルプスの女王の洗礼 編
続く