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35歳教師 持ち家ローンあり 抑うつ状態休職中のお兄さんが日記を書き始める



簡単なプロフィール

1988年生まれ保健体育教師、妻あり子なし持ち家ローンあり現在休職中。
2022年4月末に適応障害と診断されそのまま休職、1年以上経過したが復職できず現在に至る。

転職しようだとか、そんなことも考えてはいるものの、なかなか動き出せずにいる。
なんかそろそろ始めようかなということで、日記的に思ったことだったり、感じたことだったりを徒然なるままに綴ってみようと思う。

現状

上記の通り、現在妻と二人で、昨年建てた新築の戸建てに暮らしている。
が、絶賛休職中である。借金がたくさん残っているのに。
昨年4月末に適応障害の診断を受け休職、抑うつ状態が続いている。
症状としては、不眠、頭痛、気分の落ち込み、などを実感している。

新築持ち家は、私の職場の近くに建てたため妻の職場は以前よりもぐんと遠くなった。
にもかかわらず、
妻→バリバリ仕事帰宅は23:30スーパーウーマン
夫→ダラダラ休職中起床は13:00ヒキコモリメン
である。


1年間休職生活を送っているが、妻に支えられてばかりである。


本当に感謝している。


おそらく、独身であれば、本当に命を絶っていたと思う。


私の今の生活は、
①妻が出勤の時は車で送る→そのまま気ままにドライブ
②妻が在宅ワークの時はとにかく寝る→寝れなくなったYouTube、ネットフリックス、Amazonプライムとにかく駆使
③妻が休みの日にはお出かけ→登山、キャンプ、桃鉄など

こんな感じの生活である。

現職に就職するまでの過程

プロフィールにもある通り、私は保健体育教師として約10年間、教員を務めてきた。
大学卒業後は教師ではなく一般企業に就職をしたが、4ヶ月で退職し、教師の道を目指しその1年半後に現職の学校に正採用されることとなった。
実はすでに転職活動を経験している。
ただ転職活動といっても、とてもラッキーなことに、たまたまタイミングよく産休代替の臨時採用の募集を見つけ、電話してみたら採用していただけたという、超ラッキー。
一般的な転職サイトに登録して、エージェントとやり取りして、職務経歴でPRして・・・
なんてことは1つもやったことがない。
さらにその臨時採用をその年の3月末で終えた後、別の都道府県の非常勤講師として、これもタイミングとご縁があり、すんなり採用してもらえた。なんて幸運な男(ラッキーマン)なんだろうと思っていた。

その後もラッキーをフル活用して最終的に私立中高一貫校に就職することができ、私の転職活動は成功した。

と思っていた9年後。

こんなことになるとは1ミリも予想していなかった。

適応障害の診断を受けるまで

現職の学校に勤務して8年が経った。
中高一貫校のため、中学1年生から高校3年生全ての学年で担任をさせてもらい、すいも甘いも経験させてもらった。
部活動の顧問ももちろん全力でやった。転職の一番の理由は部活動の顧問をやりたかったからだ。
高体連の仕事も、国体の仕事も運よく携わらせてもらうことができた。


ただ


気がつけば自分の心は追い込まれていた。


のかな?


当時の自分は、


「断らない主義」


飲み会もほぼ断ったことがない。


振られた仕事も基本、断らない。


というか、断れなかった。

今、仕事に戻っても、何かを「断る」ということ自体が怖くなって、
結局同じように自分を追い込んでしまうのではないか、、、と思っている。

学校内では、気がつけば学年副主任、学年主任とあれよあれよと肩書きがつき、
教科主任も同時に受け持っていた。
現職の学校では、30過ぎで学年主任は初めてだったようで、
自分でも肩書きだけで、周りの先生方に頼ってばかりで当時は不甲斐ない思いをしていたと思う。

また部活動でも、中高一貫校のため、中学の部活、高校の部活両方に顔を出し、運営・指導し、中体連に顔を出し、高体連で地区の仕事をし、県協会の仕事をし、国体の仕事をし・・・

と自分が何役こなしているのか(こなせていなかった)わからなくなっていた。


そんな状態で仕事をしていた2022年の4月某日の朝出勤前、

突然のめまい息切れ動悸に襲われた。

そのまま倒れ込み、全身から力が抜けて立ち上がれなくなった。

息が苦しく、何も考えられないような状態だったように思う。

数時間経ってから、少し起き上がれるようになり、妻が総合病院に連れてってくれた。

血液、X線、CT、コロナ、、、

いろんな検査をしたが、異常なしと診断された。

診断の時、最後に「もしかしたら心療内科に行ったら良いかも」と医者に言われたが、その日はそのまま帰宅し、療養した。

これが土曜日だった。

日曜日の午後、部活動の練習の予定があった。春の大会直前だった。

身体はすぐれないが無理やりわたしは出勤した。

練習中座り込んでしまうこともあったが、なんとか夕方までの練習を終え、その日は帰宅した。多分ものすごいげっそりした顔してたと思う。

翌月曜日は休みの日だったため、終日自宅で療養。何をしていたか記憶にない。

記憶にないといったが、この4月某日の前後半年くらいの記憶ほとんどない。

火曜朝、再び脱力感、めまい動悸息切れの症状が現れ、欠勤。
翌水曜日も同じく欠勤することに。
数日休めばよくなるだろうと思っていたが、どうしても仕事に行けなかった。

そして木曜日、妻から「心療内科に行こう」と言われた。

自分から行かなかったのは、多分行きたくなかったし、精神疾患の診断を受けたくなかったのだと思う。

それでも、妻は献身的にサポートしてくれたし(現在進行形)、その提案を断る理由がなかった。

当日夜に診察を受け付けている病院を予約し、妻とともに診断を受けに行った。


そこで適応障害の診断を下された。


休職してください。とも言われた。


正直、ショックだったのは覚えている。


その場で診断書を受け取り、後日それを学校に提出した。

同じ学年の先生、同じ教科の先生、部活動の先生、高体連関係の先生など各部署に連絡するのが本当に辛かった。
もともと電話が苦手であるが、多分人生で一番辛い電話をした気がする。

通常、休職する際には引き継ぎを丁寧にすることが求められると思うが、

周囲の先生方はなるべくそっとしておいてくれていたと思う。

本当に申し訳ないことをしたと思っている。


だめだ、


今日はこの辺にしておきます。

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