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適応障害〜休職中のあれこれ⑨〜
前回の続き
適応障害発症後5ヶ月目、自転車旅、本州上陸からの話
フェリーの旅は快適そのものだった。
適応障害発症後、あまり眠れなかった私は船の上でも同じだった。
睡眠導入剤をキメて1時間半くらいは眠ったが、すぐに近くのおじさんのいびきで起きてしまった。
夜中に目が覚めるとき、この頃はほぼ金縛りになってから目が覚めるので、
夢の中なのか現実なのか曖昧な感覚のまま目覚めることが多かった。
船の上でも金縛りに合い、夢うつつのまま部屋を出て船内を徘徊した。
デッキに出ると、冷たい風が吹きつけた。
そこで現実だと気づく。
やっぱり、自然の厳しさを肌で感じると、人間はスイッチが入るのか。
真っ暗闇の中、しばらくデッキで過ごしてみた。
スマホでネットでも見たかったが、あいにく太平洋上なものだから電波もない。
日中は35℃とかあるくせに、真夜中の海の上はなんとも冷えている。
それでも船内に戻ってまた金縛りにあうのも嫌だったので、ちょうど船のボイラーかなんかの温かい風が出てくる場所を見つけたので、そこでぼーっとしてみることにした。
身体にいいかわからないが、温かい風を浴びながら、真っ暗闇の海を見つめる。
うつ症状が強いと、家で寝逃げしている時も、真っ暗闇にいる気分だが、
太平洋の本当の真っ暗は、なぜだか心地よい闇だった。
自分は闇の中で、存在してるのかしてないのかわからないような感覚。
今思うと、よく海に飛び込まなかったなと思うが、きっとそれは海の上を走る船の風を切る音、冷たい水しぶきと温かいボイラーの風、そしてほんの少し見える星や月の明かりが、私にとって「生きてていいんだよ」と言ってくれているような気がしたからだろう。
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朝日が出てから下船までもしばらく時間があったので、部屋に戻りもう一度だけ薬を飲んで睡眠をとった。
下船は14時過ぎ。
ホテルライクな船旅を終え、いざ、茨城県に上陸。
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この日の自転車での走行距離は日暮まで時間もあまりないので、短く終えようと宿泊地を水戸市内のキャンプ場に設定。
食料などを買い出ししてからキャンプ場に入りたかったので、到着が遅くなる旨をキャンプ場に連絡。
到着までオーナーさんは待っててくれる、と優しく言ってくれた。
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自転車で15分ほどでスーパー銭湯もあり、快適にキャンプすることができた。
なぜだかこの日は爆睡。そんなに疲れてもないのに。
翌朝もバッチリ準備ができて、計画通りの時間に出発することができた。
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4日目の朝は快晴!
ということは、日差しが強いし暑いということである。
私は大学時代、茨城県で過ごしていたので暑さを知っている。
ただでさえ日頃日光を浴びずに引きこもっている身としては、
絶好のセロトニン日和。
灼熱の茨城県を走るこの日の目的地を、常総市のキャンプ場に設定していざスタート。
出発して1時間でなんとセイコーマートに出会ってしまい、すぐ休憩することに。
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茨城県内はアップダウンも少なく、私も大学時代通ったことのある大きな通りを走っていたものだから、とても快適に進むことができた。
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日本一低い百名山ながら、ここから見える筑波山はなんとも雄々しかった。
茨城は何かと虐げられているが、私は好きな県である。
ヤクザっぽい人もいるし、なまりすぎて何言ってるかわからない人だらけだけど、
景色が良すぎてどうでも良くなる。
特に冬は空気が澄んでいて、田んぼや畑も多いところに行けば大きな空が広がっている。
夕焼けなんかも最高だ。
やっぱり、私は自然が好きなのかもしれない。
適応障害になる前は、とにかく「野心を燃やしている自分を周囲に見せないと」と、周りの目を気にして頑張ろうとしていた。
「頑張ってるね」「すごいね」
人からそう言われないと、自分の価値がないような気がしていた。
だから、自分のためというよりも、人から認められるために行動していた。
教員として生徒と向かい合うときも、生徒の顔色をうかがっていたのかもしれない。
そんな自分でいられなくなって以降、自分の存在価値を否定し、引きこもっていた私だが、
自然はワタシを受け入れてくれた。
この時見た、懐かしの茨城の風景も同じだった。
35℃の炎天下の中、日焼けで肌を真っ赤にしながら走っても、何も嫌じゃなかったし、本当に楽しんで自転車を漕ぐことができた。
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この日は、15時すぎにはキャンプ場に到着。
この旅の最終夜ということで、ご褒美にノンアルビールとおつまみを。
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最終日。
この日も金縛りなく、気持ちよく眠ることができた。
不思議である。
身体の疲れもあった方がやはり眠れるようである。
ラストは常総市から自宅まで。約70kmほどだったか。
正直最終日は、書くほどのエピソードはない。
ただひたすらに道なりに漕いで漕いで漕ぐだけだった。
言うことがあるとすれば、ラストデイにしたくなかった、と言う想いが募ったことか。
このまま自宅を通り過ぎて、関西にでも行ってみたいような気持ちだった。
「他人の目を気にして生きる呪縛」から解放された5日間。
自宅が近づくにつれて思い浮かんでいたのは、やはり妻の顔。
おそらく誰よりも5日間心配していただろうし、よくこんな精神不安定なうつ病患者を一人旅に出してくれたと思う。
頭が上がらない。
午後イチには自宅に到着し、車の汚い排気ガスをたくさん浴びた身体では妻に抱擁できないと思ったので、お風呂のお湯のスイッチを押しておいて、とわがままを言っておいた。
仕事で忙しい妻にそんなお願いをするなんて、本当に堕落した夫である。
しかし、今わたしが頼れるのは妻だけである。
「頼ろう」と思わせてくれた妻に感謝だし、これは今でもこれからも変わらない。
結局、妻は在宅勤務ではあれど、忙しかったらしく、お風呂のスイッチは自分で押して、しっかり身を清めてから、
リビングで旅の報告会をしましたとさ。
自転車の旅編、終わり。
この後もうつ病との闘いは続きます。