『中国現代文学2』(中国現代文学翻訳会編)
まず、史鉄生の随筆「人形(ひとがた)の空白」、「反逆者」のに強く惹かれた。
【ここには必ず一つの物語が、悲惨な、あるいは滑稽な物語が隠されているはずだ。しかし、私は考証する気はない。(略)物語は、ときには必要だが、ときには人に疑いを抱かせる。物語というものは物語自身の要求から逃れ難い。心を揺り動かし、感動の涙を誘い、起伏と変化に富み、結局のところ人を酔わせようとする。その結果、それはただの物語になってしまう。ある人の真実の苦しみが、ほかの人の編んだ楽しみに変わり、一つの時代の絶望と祈りが、別の時代の瀟洒な文字の並びに変わってしまう。(略)そこからもっと大切なものがこぼれ落ちていくように感じる。
ー中略ー
捉え難い揺らぎは、必ずしも具体的な形象や場面を求めてはいない。(略)それは祈りを求めている。何代もの人の迷いと探求、恨みと誤り、若さと老い、それらが最終的に求めるのはいずれも、そう、祈りなのである。】(史 鉄生「人形の告白」栗山千香子訳)/
残雪「趨光運動ーー幼年期の精神図像に溯る」(近藤直子訳):
《さてどんじりに控(ひけ)えしは》、言わずと知れた残雪よ!
残雪は、『夜のみだらな鳥』のホセ・ドノソと並んで、僕がもっとも苦手とする作家だ。
『カッコウが鳴くあの一瞬』を読んでみたが、ラテン語で書かれた本を読んでいるかのように、ちんぷんかんぷんだった。
それに比べてこの回想録の文章の読みやすいこと!
紅茶に浸したマドレーヌのごとし。
おまけに随所に笑いがあるから、もはや言うことなし。
残雪山、ここからなら登れます!/
【文革期、わたしが中学に行くのをあきらめたのは、ああした模倣できない言葉への恐怖からだった。(略)学校に上がらなかったおかげでわたしは言葉の正確な模倣を学ぶ道ーー文学書を読むことーーを探し当てたのである。そうして知らず知らずのうちに模倣を学ぶと同時に、模倣しない権利をも保留した。
ー中略ー
ひとりの人間の作品は、その人が数十年のあいだに塑像した自我の形、精神世界にほかならない。わたしの小説世界は読者を排斥し、一般の人が中まで入りこむのは難しく、その閉鎖性が人に畏れられる。(略)それはわたしが決してみなが公認するこの世界のことを書かないからだ。わたしはこのいわゆる「現実」世界をひとつの表層世界と見なしており、わたしの興味は海上の氷山の下の部分にある。夜に属し、人間の原始の欲望に属するものだけが、わたしの記す範囲なのである。とはいうものの、原始の欲望に属する描写は最大の普遍性を具えているはずで、それゆえ、わたしの奇妙な作品は、精神的な事物に関心を寄せるすべての人に開かれてもいるのである。こういう作品を読むのに高度な学識は必要ないが、ただ敏感さと切実な欲求、そして一定のモダニズム作品の読書経験が必要だ。】/