ミシェル・ビュトール『合い間』

凄い!これはまるでオーケストラのスコアだ!
最初、二つのストーリーが同時並行的に進行して行く、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア/詠唱」のような小説だと思った。
ところが、ビュトールがやっているのは、五種類か七種類の楽器(ストーリーあるいは物語の流れ)がそれぞれのパートを演奏していくことで、一つの妙なるハーモニーを奏でることとなる楽曲のスコアを書くことなのだ。
演奏は読者に委ねられている。/

そういえば、先日読んだ早稲田文学のビュトール特集の付録DVDに入っていた映画「ミシェル・ビュトール モビール」のなかで、ビュトールは、

【「私は同時に多くの物語を語るように試みます (略) そして私は幾人もの人物の生を同時に語る方法を試みてきました】

とも、

【文章を書いているときでも 単に書くのではなくて 自分が書くもののなかで曲をつくり 絵を描きたいと思います 音楽家は その点でとても助けになります なにより時間のなかに 対象と形式を配分するしかたに関して 彼らは私のお手本です】

とも語っていた。/


ビュトールのこの戦略は見事に成功しているように思える。
というのは、あまりにも構造が複雑なため、少しでも物語の姿をつかもうとすれば、集中力を欠くことニワトリの如しの僕でさえ、どうしても集中して読まざるを得ないのだ。
このあたり、ロシア・フォルマリズムの、〈知覚を長引かせること〉によって、日常性の中で眠っている読者の感性を覚醒させようとする「異化」の方法と通じるものがあるような気がする。
さらに言えば、なぜプルーストの『失われた時を求めて』はあんなにも長いのだろうか?
なぜボルヘスの短篇はあんなにも難解なのだろうか?
ジョイスの『ユリシーズ』に至っては、その両方ときている。
それは、おそらく読了のために費やされる労苦や、読解のための呻吟によって、自らの作品を読者の心に深く刻印させ、忘れ難いものにさせ、さらには再読へと導くためではないだろうか?
たぶん、読みやすくて分かりやすい作品の多くは、読んだ途端に忘れられてしまうのではないか?
完璧に理解した作品を何度も再読しようとする読者は、そんなにはいないのではないか?
そこで、優れた作家たちは、そうならないためにそれぞれに秘策を練ったのだろう。
そんな気がする。/


【私は思った。(略)世界の運命は、(略)私の書くものにかかっていると、そしていま、私の文章活動(エクリチュール)という徒刑場の奥底にあって、実際、私は依然としてそう思っているのだ。】/

「文章活動(エクリチュール)という徒刑場」という言葉が、シーシュポスが山の上に石を押し上げる苦役を指し示し、同時にその言葉はまた、安部公房『砂の女』の主人公が穴の底で砂を掻く行為を指し示す。/


◯作品のなりたち(訳者解説より。):
ビュトールは、映画監督から〈一度も会ったことのない男女が、乗り換えの汽車を待つ間の駅の待合室で出会い、三十分ほど言葉を交わし、それぞれの目的地へと旅立ってゆく〉というあらすじのシナリオ執筆を依頼される。
その際に書かれたシナリオに次々と書き足してできあがったのが、三種類のパラグラフと三種類の活字によって構成される本書。/

[構成]:
(1)頭部余白の最も少ないパラグラフAは、当初のシナリオ部分で、登場人物の行動、台詞、想像的情景、内的独白と想像的対話、彼らが読んでいる新聞や書物からの引用を示す。

(2)頭部余白が二番目に大きいパラグラフBは、男女二人の主人公たちの行動や心理にたいする伴奏、増幅、変奏を示す。

(3)頭部余白が最も大きいパラグラフCは、シナリオ完成後に著者が書いた三種類の日記。

(4)これら三種類のパラグラフ内の様々な種類の記述も、活字の種類を変えることで混乱なく文脈を辿らせる仕掛けになっている。/

【サン-テチエンヌ発の気動車がリヨン-ペラシュ駅に到着。雨が降っている。四十歳の男、小さなスーツ・ケース、客車から下り、急ぎ足で人びとをかきわけ、車掌にたずねる。】/

【「ボクノヤリ方ヲ発見スルタメニ、キミ自身ノヤリ方ヲ試ミタマエ】/

【((略)読むとはつねに何らかの意味で書き直すことであり、あらゆる文学作品に含まれるこうした読むことと書くことの往復運動を拡大してみせたのがこの『合い間』なのである。)】(解説)/

迷路…回廊…『去年、マリエンバードで』…彷徨…夢遊病…反復…呪文…。


どうやら、僕の演奏はヴァイオリンの初心者のそれのように、到底聴くに耐えないものになってしまったようですが、それにも関わらずというか、むしろそれ故に、再読への誘惑を強く掻き立てられてしまいました。/

図書館で借りて読んだのですが、その独創性にあんまり感心したので、再読、再再読のために購入してしまいました。

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