『佐田稲子傑作短篇集 キャラメル工場から』
佐田稲子の「キャラメル工場から」のことは、たぶん五、六年前の「夏の文学教室」で聞いたのが初めてだと思う。
講師は中島京子だったと思うが、とてもほめていた記憶がある。
ところが、僕のような天邪鬼の場合、誰かがほめていたということが、返ってその作品を評価する際のバーを数センチだけ押し上げてしまうことがある。
どうやら、今回もそのシステムが作動したようだ。
というわけで、僕には世評ほど素晴らしい作品とは感じられなかった。
貧しい少女が主人公の初期の作品などは違和感なく読めるのだが、作家として名をなした後の作者自身が登場する後期の作品には、あまり面白みが感じられなかった。
津島佑子や石牟礼道子の作品にある「悲しみ」が、後期の佐田作品にはあまり感じられなかった。
そんな中でお気に入りは、家庭の事情で縁談を諦めた料亭の仲居、良枝を描いた「かげ」だ。/
【もう秋が深かった。ある夜良枝は、店をしまって、外へ出た。薄手のショールの片端をうしろにはねて日本橋の交差点へ急いだ。やはり通いの料理人の須藤がもそっとした格好でその停留所に立っていた。
「あらどうしたの、まだいたの。よっぽど前に出たじゃないの」
そう云ってから、良枝は須藤が自分を待っていたのだとさとった。須藤は不機嫌に見えるほど、笑いもせず良枝を見つめた。良枝の方があわてて視線を逸らすのを追うようにして、須藤は思いがけないことを云い出した。
「いつかのあの手紙の主は、良枝さんの旦那さんかい」】
編者が解説で、【佐田稲子の短篇といえば真っ先に思い浮かぶ作品だろう。】と書いている「水」は、僕にはそれほどとは思えなかった。
ホームのはずれにある水道の蛇口を閉め忘れて水を出しっぱなしにしたのが、子供でも酔っ払いでもなく、勤務中の駅員だという点に違和感を感じてしまったのだ。
もちろん、現実にそういうことが起きることは、たまにはあるかも知れない。
だが、それが生じざるを得なかった状況は、どこにも書かれていなかった。