J・ヒリス・ミラー『文学の読み方』

読書のモチベーションを保つのにやや苦戦して、薄い割に読了に時間がかかってしまった。
著者の主張はもっともだが、そこにほとんど驚きはなかった。
訳者あとがきに著者は「イェール学派」の一人とあったが、以前同じく「イェール学派」のポール・ド・マンの本を読んだとき、その面白さにやや興奮気味となり、付箋が何十本も林立したことを思い出したが、本書からはそこまでの感興は得られなかった。/

【文学作品の冒頭の文章は私には特別な力をもつ。その文章は、その作品の虚構領域への扉の錠を開ける「開けゴマ」という呪文である。(略)
私が引用したどの例においても、冒頭の言葉は即座に私を新しい世界へ運んでいく。(略)ゆえに、この初めの言葉は極めて創始的なものである。どの例においても、その言葉は新しいオルタナティブ・ユニバース(代替世界)を創造する。これは創世記の「光あれ」という神の言葉の世俗化され極めて人間化された縮小版である。】/

【プルーストにとって、そのような無数のオルタナティブ・ユニバースは、(略)常に既に存在するものである。それは芸術家や音楽家や作家によって発見されるものであり、(以下略)。そのような潜在的なリアリティの一部は、絵画や音楽や文学によって、私たちの日常世界へと持ち込まれている。(略)芸術作品という宝によって、私たちは自らの生を無限に増殖させ多様化することが可能となる。「唯一の、真の発見の旅とは」とマルセルは次のように語る。 

 唯一の、本当の若返りの体験(略)であり、それは一人の他者の目、百人の他者の目を通して世界を見ること、彼らそれぞれが見、彼らそれぞれがまさにそれである、百の世界を見ることであろう。そしてこれを、私たちはエルスチール(略)とともに、またヴァントゥイユとともに、果たすことができるのだ。】/

【個々の文学作品が、その作品を読む以外の方法では到達できない唯一無二の世界を開くという、これまで私が主張してきたことが正しいとすれば、読書とは言葉を基礎にして自分自身の内部にそのような世界を再創造する行為に、人間の思考、心理、感情そして想像力の全てを無条件に傾注することでなければならない。】/

【スロー・リーディング、すなわち〈批評的読解〉(略)は、どんな方法で魔法が働いているのかを解明しようと作品のいたるところで疑い、作品の細部全てを問い質すことを意味する。(略)このような脱神秘化する読み方は、(略)二つの形式を取ってきた。(略)一つは、(略)修辞的読解(略)と呼ばれるものであろう。そのような読み方は、魔法を作用させる言葉の仕掛けに徹底的に注目することを意味する。(略)
〈批評的読解〉のもう一つの形式は、文学作品が階級、人種、ジェンダーに関する事柄についての様々な信念をどのように教え込んでいるのかを問い質す。(略)このような(略)読み方は、(略)「カルチュラル・スタディーズ」、時には「ポストコロニアル・スタディーズ」という名前が付けられている。】/

【私が提唱する読書の二つの方法、すなわち〈素朴な読み〉と〈脱神秘化する読み〉は、互いに対立するものである。どちらも他方の働きを阻止するーーゆえに読みのアポリア(論理的袋小路)なのである。】/

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