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連れ子への愛情について

連れ子がいると、周りから「継親側は連れ子を愛し可愛がるべき」と考えられがちです。でも私は「愛す」の部分にひっかかってしまう。それって、皆、いつから愛せているの?

愛情は、関わり合いの中で湧いてくる。世の中には、会った瞬間から連れ子を愛せる人もいるのでしょう。でも私はそうではなかったです。嫌いだ!とも、愛おしい!とも違う、…あ、これからよろしくお願いします、という感じ。

子供達が小学生という年齢で出会った私の中の子供達への愛情は、瞬時に湧き出る訳ではなく、関わり合う中で芽生え、育っていく形をとるらしいのです。一緒に笑ったり怒ったり、話したりする中で距離が縮まり、共に過ごす時間や経験を重ねて行く事で、徐々に自然と湧き上がるのを待つしかないようなのです。可愛がることから始められたらそれでいい。今でも愛情は育てている最中です。

「子連れ再婚するなら子供が小さい時の方が良い」とよく聞きますが、再婚相手と子供の関係が上手くいくことが重要となる子連れ再婚では、これは本当だと思います。何故なら、再婚相手にとってより多く
・自分の関わった躾が出来るから
・一緒の経験を積み重ねる事が出来るから
・共同作業が増えるから
・成長を感じる事が出来るから
です。無垢な状態の赤ちゃんの頃からなら、継親側も無条件に愛しさを感じやすいし、赤ちゃんに自覚が芽生える頃には赤ちゃん側も継親からお世話を受けていることを体感している状態です。更には共通の体験や共同作業を重ねることで信頼関係や絆が深まりますし、歩けるようになった、逆上がりができるようになった、自転車に乗れるようになったなどの成長段階を目の前にすることで、継親側も自分がしてきたお世話の成果を実感することができます。その実感がまた愛しさへと直結していく。目まぐるしく成長する乳幼児期は、そのチャンスも多くあります。

だからと言って、子供が育った後では遅いと言いたい訳ではありません。関係性がより複雑で、子供側からも継親側からも芽生える愛情のスピードや芽生え方が違うかな、とは思いますけれど。

私の場合、結婚生活9年目。子供達への愛情は、本当に、関わった分だけ湧いてくるように思うのです。私の場合は一緒に住んでいる訳ではないし、ゆっくりなのだと思います。今「連れ子への愛情は?」と聞かれれば、「他の家の子よりは愛しい」という感じです。言葉にすると冷たいようにも聞こえるかも知れませんが、ちゃんと世話をして可愛がってもいますし、愛情はゆっくりとですが育っていると感じています。それに、「将来的にはいつか、この子達が遊びにきてくれる日を楽しみに待つ日が来る」ことを確信しています。これで良いと思っています。

結婚したての頃に、夫から「子供達可愛い?好きだよね?愛しいよね?」と矢継ぎ早に尋ねられることがよくありました。夫には、私にも子供達を自分と同じように愛しく感じて欲しいという願望があると同時に、私が子供達を嫌いになったらどうしようと、私がストレスと闘う様子から不安だったのだと思います。でも、これは私には酷な問いかけでした。愛しさを、育む前に期待されましても。。。上手く答えられずに、夫を更に不安にさせたかも知れません。そのうちに「可愛いと思うし好きだけど、愛しいかどうかは今もまだ発展途中。」と答えていました。可愛がることも、一種の愛情と判断していいのでしょうか。私にはちょっと「愛しいか」とは違うように思えて。可愛がることは頭で判断し実行できるのですが、愛情は持とうと思って持てるものでは無いというか。

因みに、関わり始めて数年後、こんな私にも子供達と過ごす中でフッと幸せだなぁと感じ、頬が緩む時がきたのですが、それがなんと、洗濯し終えた子供達のパンツを畳んでいた時。
パンツです、パンツ。
お年頃にもなってきて他人には見せたくもないだろう汚れたパンツをこうやって私に託し(洗濯してくれるからですけれど)、私がそれに答え、洗って畳む!!
夫には、もっと他にあっただろうと言われるでしょうけれど。ただのパンツ、されどパンツ。
お互いに築いてきた信頼関係や努力の賜物と言いましょうか、成果がパンツを通して急に見えた気がして。成長を感じる今となっても、私にはあの瞬間が一番グッときたなぁ。



2020年1月31日

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北川 萌子
ありがとうございます。励みになります。 頑張って更新しますね。夫と美味しいものを食べたいな。